2018年1月6日土曜日

〈迷信〉と〈花〉、最後に〈マゾ〉


 今日、スーパーで〈サイネリア〉の鉢植えを見かけた。冬

の鉢花として、この時期にはよく見かけるのだが、この花を

見かけると、いつも少し不愉快になる。

 花色も多く、その色合いも良いし、花も程よい大きさで、

花自体は好きなのだが、名前が気に入らない。

 そもそも、十数年前までは《シネラリア》という名前で流

通していた。英名が《シネラリア : cineraria》なので、そ

のまま使われていたのだが、《シネラリア》は〈死ね〉を想

わせると言うので、《シネラリア》という名前は急速に使わ

れなくなり、今では完全に〈サイネリア〉が通名になってい

る。

 英語の表記が “cineraria” だから、〈サイネリア〉と読

むのは無理があるのだが、「縁起」の良し悪しの前にはそん

なこと取るに足りないのだろう。〈アシ(葦)〉を〈ヨシ〉

と呼ぶのと同じ心情だ。しかし、〈葦〉の場合は日本文化

の、日本語の中での言い換えなので、まぁ、それでもいいと

は思うが、英語の読み方を強引に変えてしまうのは、やり過

ぎだろう。〈富貴菊(フウキギク)〉という和名もあるのだ

から、そちらを使えばいいのにと思う。


 そんな、迷信深さから来た “強引さ” と “テキトーさ” 

が、〈サイネリア〉という名の背景にあることを知っている

ので、見かける度に気分が悪い。《シネラリア》が可哀相

だ。



 こういった「ゲン担ぎ」は何処にでもある。

 多かれ少なかれ、世界中の何処でも誰でも「ゲン」を担

ぐ。

 無神論者であれ、合理主義者であれ、サイコパスであれ、

まったく「ゲン」を担がず、「ゲン担ぎ」にまったく影響さ

れないという人間は、ほとんど居ないだろう。



 昨年、殺人事件のあった《鶴岡八幡宮》では、初詣の参拝

客が三割ほど減ったという。「縁起が悪い」ということだろ

う。まぁ、気分の問題だから、どっちでも好きにすればいい

ことだけど、人間とはそういうものですね。


 私は、「ゲンを担ぐ」とか「縁起を担ぐ」とかいった迷信

は信じない方だけど、風水だとか、占いだとかに凝っている

人間から、「それは良くないよ。悪い事が起るよ」などと、

自分の行動を指摘されると、やっぱり少しばかり気になって

しまう。なにやら気分が悪い・・。

 「要らんこと言うんじゃないよ!」

 と、腹が立ってしまう・・・。

 それを無視して、自分のやりたい様にやっても、何やら後

味が悪い・・・。



 〈迷信〉というものの困ったところは、そもそも根拠が無

いものだから、否定しきれないところにある。

 根拠があれば、その根拠を否定してしまえばケリが着くけ

れど、どこかから降って湧いたようなものだから、始末が悪

い。

 何も付いていないのに、頬っぺたがムズムズする事がある

が、あんな不愉快さに付きまとわれる。


 『西の窓には黄色のカーテンを!』などと言われた時に、

「その根拠を示せ」なんて反論して、“中国四千年の歴史” 

を語り始められたら、目も当てられない。

 「あっ、そうなの・・・。はい、はい・・・」と、おずお

ずと黙り込み、話を合わせる羽目になり、ムズムズするモノ

を頬っぺたに塗りつけられて、何日か小さなイライラに苛ま

れる事となる・・・。(場合によれば、一生のトラウマにな

る事だってある!)



 そういった〈迷信〉が、“風水” や “占い” や “昔の言い伝

え” だけならいいのだが、この頃は、“科学” や “学問” とい

った体裁で忍び寄って来るから、尚の事始末が悪い。

 毎度の事で恐縮だけど、『安心安全』にまつわる話には、

この手の〈迷信〉が、すぐに登場する。

 何が「始末に負えない」かと言うと、一応「根拠が有る」

のが困る。さらに始末が悪いのは、別の所からそれを否定す

る根拠が示されたりする。そんなもの、誰も検証している暇

が無い。

 必然的に、人それぞれに自分の気に入る説に組して、根拠

があいまいなまま、戦闘モードに入ってゆくことになる。

 あ~っ、鬱陶しい!
 

 何度でも、何度でも言うけれど、

 《 「正しい」とは、そういうことにしておけば

               気が済むということ 》

 でしかない。
 

 みんな、自分の気が済む様にやればいい。ただし、それは

自分の好みだというだけ。自分の都合でしかない。

 そんなものを人に押し付けるんじゃない。

 そんなものを人の鼻先に突き出すんじゃない。

 自分の意見や価値感なんて、申し訳なさそうに見せるもん

だ。(私は申し訳なさそうでしょうか?💛)


 「ゲン担ぎ」をしたって構わないけど、そのダシにされる

対象ってモノがある。

 そちら側からすれば、ずいぶんと無礼な話なのだ。

 〈シネラリア〉も、〈アシ〉も、〈霊柩車〉や〈火葬場〉

も、その他諸々の「縁起でもない」モノや人たちも、存在す

べくして存在している。

 そういった存在を、アホくさい語呂合わせなんかで、「ゲ

ンが悪い」とか、「縁起が悪い」とかのレッテルを貼る無礼

な奴にこそ、目につかない所へ消えて欲しいものだ。


 ホント、人間って “ムダでマヌケで役立たずの決めごと”

を作って、自分自身の自由を縛り上げてしまうのが好きなん

だねぇ・・・。マゾか? 

 アタマが悪いよ。







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