2018年1月12日金曜日
教祖になってみませんか?
「『教祖になってみませんか?』なんて、一体何を言い出
すんだ?」
そんなふうに思われたかも知れませんが、冗談と言えば冗
談だし、本気と言えば本気です。さらに言えば、「神になっ
てみませんか?」というのが、本音です。
私、狂ってます?
ずいぶん前のことですが、『自信教』という宗教を考えた
んです。
字のごとくに、「自分を信仰する」宗教です。
信仰する対象は自分自身ですから、あなたが〈神〉です。
そして、自分という〈神〉を信仰するのですから、信者は
あなた一人だけです。あなた一人だけですから、あなたは信
者であると同時に “教祖” でもあります。
あなたは〈神〉であり、“教祖” であり、信者です。
「何を言ってるんだ?」
そう思われているでしょう。
もう少し説明します。
あなたは〈神〉です。(そういうことにして下さい)
〈神〉ですから、あなたは何も必要としません。
〈神〉ですから、あなたは世界そのものです。
〈神〉ですから、あなたは完全に満ち足りています。
〈神〉ですから、あなたは完璧です。
あなたは〈神〉です。
さて、あなたが〈神〉だとしたら、世界はどの様に見えま
すか?
あなたは〈神〉であり、世界そのものです。あなたが宇宙
です。何かすることがありますか?
あなたは〈神〉であり、完全に満ち足りています。何も必
要としません。何かしなければならないことがありますか?
あなたは〈神〉であり、完璧です・・・。以上。
何のことは無い。あなたをちょっと「神の気分」に誘導し
ているんです。
今まで度々書いてきましたが、わたしたちは生まれて来る
と、すぐに較べることを刷り込まれます。いや、赤ちゃんは
母親の匂いを分かっていたり、温度や湿度の違いを感じるの
ですから、“較べること” は生得的なものですね。ただ、赤
ちゃんの持っている「比較能」は、生物的なものです。その
「比較能」を土台にして、〈意識〉による比較が刷り込まれ
ます。すべてを比較するようになってしまうのです。
たった一度。ほんの少し。取るに足りない事柄でも。
比較してしまったが最後、人は、“完璧” な世界を失いま
す。“完全” では無くなります。雪崩を打つように “必要” な
ものが増えてゆきます・・・。
だから、〈神〉になってみます。
自分を「 “完璧” で “完全” で “何も必要としない” 満ち
足りている者」として、観て、感じてみます。
実際、“今生きている” のであれば 、「今生きるのに必要
なものはすべて完全に完璧に足りている」ということです。
アタマがどんなに不足を唱えようとも、“今生きている” の
なら、「すべてはそろっている」のです。
どうでしょう? 完璧じゃないですか?
完璧な存在なんだから、あなたはやっぱり〈神〉なんです
よ。
あなたも〈神〉だし、私も〈神〉だし、すべての人間が、
生きとし生けるものが、この世の何もかもが〈神〉です。
73億の人間ひとりひとりが、自分を信仰すればイイ。
73億の人間ひとりひとりが、〈神〉であり、完璧に満ち
足りている。
73億人に73億の宗教。
そうなってしまえば、もう宗教間の対立など起きない。
そこには何の争いも不幸も無い。
〈極楽〉じゃないですか。
人は、自分が〈神〉であることを、気付いていないだけな
んですよ・・・。
と、そんなことを昔考えました。気持ち悪いですか?
冗談とも本気ともつかない話でしょ?
でもね、信仰というものは、個人のものです。
宗教というものは、個人のものです。
ひとりひとりが、その人なりに宗教を捉え、その人なりの
信仰を持ちます。
「ナムアミダブツ」と唱えても、「アーメン」と呟いて
も、「インシャラー」と言っても、そこに込められている思
いや祈りは、ひとりひとり違います。たとえ同じ宗教を信仰
していても。(“お金” や “社会的地位” や “若さ” なんかを
信仰している人もいますね)
だから、宗教も信仰も個人のものなんです。
実は、「個人の数だけ宗教がある」というのが現実です。
やっぱり「ひとりひとりが教祖」なんです。
結局、自分を信じるしかないのです。信仰の対象は〈自
分〉です。
あなたが〈神〉です。
満ち足りて下さい・・・・・・・。
私は、たぶらかそうとしているのでしょうか?
試しに、たぶらかされてみてはどうですか?
どうせ生きてるし、どうせ死ぬ身です。
満ち足りた気分で居るに、越したことはない。
教祖はあなたです。
だから、誰も金を「お布施をしろ!」なんて言って来たり
はしません。
勝手に〈神〉になって、ひとりで満ち足りて・・・・。
昼寝でも、どうです?
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