昨日、《「淋しい」がわからない》などと書いた後で、
「もしかしたら、感情のかけらも無いと思われるだろう
か?」と、すこし気になった。
私が《「淋しい」が分からない》のは、幼いころに「淋し
い」が普通な状態に置かれていたので、知らず知らずに「淋
しい」の対処法を身に付けたせいだと思われる。
『災い転じて福となす』
『禍福はあざなえる縄のごとし』
何が良いのか悪いのか?
そんなこと誰も知らないし、お手軽に決められないのは、
そこそこ生きていれば分かるもんです。というか、何が良い
のか悪いのかなんて、自分が決めればいいことで、個人の自
由裁量ですね。
自分に起こる出来事を、どこかの誰かの基準に照らして
「良い」か「悪い」かなんて考える必要はない。
負け惜しみでも、ヤケクソでも、「良い」と言ってしまえ
ばそれでいいんでしょう。だって、起きたことは仕方がない
んだから、やみくもにでも肯定しちゃった方が、精神衛生上
よろしいかと・・。
ところが、なかなかそう思えないのは、無意識のうちに誰
かに気兼ねしているんでしょうね。
いったい誰に?
それは、誰でしょう?
わたしたちの中に、誰かが居るのです。
「何考えてるんだ、オマエは!」と、すぐにダメ出しをす
る口うるさい奴が。
何度も何度もくどいですが、それはわたしたちの〈アタ
マ〉ですね。
わたしたちが生まれた直後から、世の中の価値感を休むこ
となくインプットされて、あたかもそれが “自分” であるか
の様に感じてしまっている、わたしたちの〈アタマ〉。
わたしたちが物心ついて以来、
「正解は、世の中にある」
「世の中に逆らってはいけない」
「世の中は善で、それ以外は悪」
〈アタマ〉に、そう言い聴かせ続けられて、自分で判断を
下すことに罪悪感を持つようになってしまっている。
独り=淋しい
独り=孤独
独り=気の毒
そんな刷り込みを拭いきれない人たちが、世の中の大半を
占めている。
独り=独り
です。
それが、本当です。
それをどう扱うかは、個人の問題です。
独り=自由
独り=静か
独り=豊か
そう感じたっていいのです。
個人的な喜びを表明すると、しばしば批判されます。
「あいつは変わってる」
「オタクだ」
「変態だ」
「あいつはおかしい」
世の中に承認された喜びは、「うんうん!」「そうそ
う!」と歓迎されて、「みんな一緒だね! そうだよね!」
と褒めてもらえます。お互いに安心感を共有出来るからです
ね。でも、それでいいのでしょうか?
他人と共有出来る喜びが、ダメだとは言いません。それは
それで結構なことではあります。ただ、その喜びは「その
事」が与えてくれるものなのか? それとも「共有する事」
が与えてくれるものなのか?
「その事」、が嬉しいのであれば問題はないでしょう。た
またま同じことを喜ぶ人がいただけのことですから。しかし
「共有する事」、が嬉しいのは問題を孕んできます。「共有
する事」は、自動的に排除を生み出すからです。
「一緒だね!」と、ある価値観を囲い込みあうことで、
“一緒じゃない事・人” を生み出します。そして、その “一
緒じゃない事・人” は、当然、価値の低いものとみなされま
す。「良い・悪い」といった、ラべリングが始まります。
「共有する事」で成立する喜びは、区別・差別が無ければ
成り立ちません。よく気を付けていなければ、そのまま差別
やイジメに繋がりかねません。「これが分からない奴は、ダ
メな人間」というラベルを貼るわけですね。
ホント、注意が必要です。
「みんな一緒!」は恐い。
人類全員が「一緒!」はあり得ません。もしも「人類全員
が一緒!」が成立したら、「一緒!」の意味が無くなってし
まいますから
的に「みんな一緒!」は排除を生むのです。
そして、排除は大なり小なり、区別や差別やイジメを生ん
でしまい、傲慢や優越感、嫉妬や劣等感をもたらします。
世の中に承認された喜びは、言葉通り「世の中に承認」さ
れなければ成立しません。つまり「みんな一緒!」。
その「みんな一緒!」が区別・差別を生み出すのは、区
別・差別が、世の中を動かす “精神的な位置エネルギー” と
して欠かせないからです。ですから、世の中は「みんな一
緒!」を奨励します。
その一方で、世の中はその安定(平和)の為に価値観の共
有を図ろうとすると、その過程で不可避的に区別・差別を生
み出すというジレンマを抱えています。
「『価値観を共有しなくていい』という共通の価値感を共
有しなければならない」、という絶望的にメンドウなことが
出来なければ、世の中が安定する事はない・・・。
「ひとりひとり嬉しい事は違うよね。大事なのは、『何
が』じゃなくて、『嬉しい』の方だよね。」
と、お互いの『嬉しい』を大事にし合うしかない。
その足掛かりとして
もないんですが
嬉しい」という、開き直りなり、独立なりが必要だと思うの
です。
世の中の事はともかく、
「ひとりで勝手に嬉しい」
「ひとりで勝手にしあわせ」
それが分からなきゃ、人としての「本当のしあわせ」の、
とば口にも立てないんじゃないかな・・・。
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