「がんばれ!」
「がんばる!」
「がんばろう!」
阪神淡路大震災の後、一年程経った頃だったでしょうか。
用があって、神戸の灘へ行きました。
昼食を取ろうと思って、公園の中の仮設テントで営業して
いた “お好み焼き屋” に入りました。
私が食べていると、先に居た常連客のおっちゃんと話して
いた店のおばちゃんが、こう言いましたました。
「『がんばれ、がんばれ! 』言うて・・、これ以上、ど
ない “がんばれ” いうんや・・・」
その声には、腹立たしさと悲しみが有りました・・・。
震災の直後からマスコミを中心に、事あるごとに「がんば
れ!」という言葉が使われ、その頃には私も「がんばれ!」
という言葉を聞かされるのに、ウンザリし始めていました。
当時、どうしたら良いのか分からないまま、誰もが無我夢
中で生活を立て直そうとし、各々「がんばろう!」と気を張
っていました。オリックス
ブ」。まだ、イチローが居た
ワッペンを肩に活躍し、リーグ優勝を決めた事に市民は感激
し、「自分たちもがんばるぞ!」と思ったものだった。
しかし、程なくして震災後のある種の興奮状態が落ち着い
て来ると、無理を続けて来た被災者や、行政の様々な担当者
たちに現実の厳しさが見えて来た。個人で出来る事の限界
や、復興事業の想像以上の困難さに直面し、多くの人が疲れ
を隠せなくなり始めた・・・。
「がんばれ!」という言葉に悪気が無いのは分っても、精
一杯頑張って来た人々にとって、それはもう耳障りな言葉に
変質してしまっていた。
お好み焼き屋のオバちゃんの言葉の通り、
「・・これ以上、どない “がんばれ” いうんや・・・」と
大勢が思い、「これ以上 “がんばれ” 言わんといて欲しい
わ・・」と、いらだち始めていたのです。
テレビや新聞は、相も変わらず「がんばれ!」と励まし、
街の中や広告の隅のあちらこちらに「がんばろう」の文字を
見かける。
「ほんま、無神経やな・・・」
私も、そんな苦々しさを覚え始めていた。
「がんばれ」に代わる言葉は無いのか?
被災している知人たちに掛ける言葉を、自分自身を励ます
言葉を、自分でも考えてみたけれど、思いつかない。日本語
には適当な言葉が無い。
「ぼちぼちやろか!」と「がんばろう!」の中間ぐらいの
「応援してるで! けど、あんまり無理せんように」という
感じの、あっさり・すっきりした言葉は無いものか?
あの頃抱いた思いが、まだくすぶっている・・。
災害や事件があったりした時だけでなく、悩みを抱えてる
人には、未だに「がんばれ」という励ましが与えられる。
鬱状態にある人などには、「がんばれ!」なんて最低の言
葉なのに、お気楽で優しい人が平気で使ったりする。そうい
うのを目にすると、居たたまれない気持ちになる。
誰もが使える、「がんばれ」に代わる言葉。
“勇気付け” と “ねぎらい” を兼ね合わせた、友愛の言葉は
無いのか?
「どないかなるよ。」
「どうにかなるよ。」
というのは、個人にはけっこういい感じだけれど、マスコ
ミ向けじゃない。
そもそも、マスコミに限らず公的な立場から、困難を抱え
ている人に対して、ねぎらいや励ましの言葉を掛けることに
問題があるのではないか? そういう言葉は、あくまでも個
人の間で使われるべきものではないのか?
「たいへん困難な状況であるとお察ししますが、どうか、
がんばって下さい。」
と言って、災害の報道を締めくくったニュースキャスター
が、自宅に帰りエアコンの効いた高級マンションの部屋で、
シャワーを浴びてビールを飲む。
シャワーを浴びて、ビールを飲むのはいい。
高級マンションで休むのもいい。
だが、災害に直面している人と、自身の境遇とのギャップ
を思えば、テレビの画面からコメントなんか言えるはずがな
い。
それでもコメントするのが、テレビという物だろうが、や
はりコメント出来ないのが本当だろう。
本当に困ってる人にシンパシーを感じてしまったら、「が
んばれ」なんて言えない。
「けれども、他に言葉が無いと、あなたも言っているじゃ
ないか?」
確かに、掛ける言葉が見つからない。
見つからないのだから、黙るより他ない・・・。それで、
いいんじゃないか・・・。
もしも、ニュースキャスターが災害の報道をした後に、
「わたし、この番組が終わったら、家へ帰って、風呂に入っ
て・・・、きっとビールを飲んだりすると思うんですが・・
・・・・」そう言って、絶句してしまったら・・・。観てい
る者は、何を思うだろうか?
言えない事は、言わなくていい。言わない方がいい。
言わなくていい事は、言わなくていい。言わない方がい
い。
言葉が無いのなら、無いままでいい。
実の無い言葉は、人を傷つける。
神戸の地震の翌日、自宅のがれきの下から必要な物を取り
出そうとしているところへ、隣のお宅の娘さんがミニバイク
で通りかかった。
「大丈夫だったんですね」と、私に声を掛けてくれたのだ
が、近所の人から、彼女のお兄さんとおばあさんは、建物の
下敷きになり亡くなったと聞いていた。
「・・お兄さん、ダメやったんやってね・・・・」
そう声を掛けると、彼女は微かに笑みを浮かべ、目にはみ
るみる涙が溢れて来た。
私も泣きそうになりながら、何も言う事が出来ず、ただ彼
女の顔を見つめながら、何度も小さく頷いていた・・・。
しばらくそうしていると、彼女は涙を拭い、「今から、安
置所に行くんです」と言って、ミニバイクにまたがった。
私に出来たのは、「気を付けてね」と言って手を振る事だ
けだった・・・。
何も言えるわけがない。
言えることなんかない。
励ますなんて出来ない。
元気付ける言葉なんて、持ち合わせていない。
何か言えば、ウソになる・・・。
あの時の気持ち、あの時の彼女の顔を忘れない。忘れられ
ない。
なんでもかんでも、言葉にすればいい訳じゃない。
なんでもかんでも、言葉にしようとし過ぎる。
「ちょっと、黙ってくれないか!」
どうしようもないことがある。
なにもしてあげられないことがある。
自分で背負うしかないことがある。
泣くしかないことがある。
そんな時は・・・、泣くしかない・・・。
「がんばれ!」って、言うな。
「負けるな!」って、言うな。
「泣かないで」って、言うな。
分かったから、「ちょっと、黙ってくれないか・・・」
言葉にするから、伝わらないこともあるんだ。
言葉にしようとするから、分からなくなることも有るん
だ。
言葉を使うから、傷付けることもあるんだ。
だから、「ちょっと、黙ってみてくれないか・・・」
生きてる事は、なんでもないことだけど、時には、生きて
る事はほんとうにやるせないから。
でも、みんな生きていたいから・・・。
言葉を使うから、傷付けることもあるんだ。
だから、「ちょっと、黙ってみてくれないか・・・」
生きてる事は、なんでもないことだけど、時には、生きて
る事はほんとうにやるせないから。
でも、みんな生きていたいから・・・。
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