私は真宗の信者ではありませんが、時折「ナムアミダブ
ツ」と口にします。ちゃんとした信者さんからすれば、いい
加減で怒られるかも知れませんが、気分が沈んだ時や嬉しい
事が有った時などに、不意に口をついて出て来ます。
特に “阿弥陀仏” を信仰しているわけでは無いですが、
「ナムアミダブツ」という言葉が口にしやすいんですね。日
本人だから、耳にも口にも憶えがあるんでしょう。
私は 、“阿弥陀仏” というのは、この宇宙の〈存在全体そ
のもの〉と理解しています。ですから、〈存在全体そのも
の〉を想わせるものであれば、その名前が “阿弥陀仏” でな
くったっていい。「南無釈迦如来」でもいいし、「南無観音
菩薩」でもいい。「南無イエスキリスト」だって構わない
し、「南無お天道様」「南無コンクリートブロック」「南無
親指の爪」だっていい。大事なのは『南無』ということです
から、本質的には「ナム」とだけ口にして、後は口をつぐん
でしまってもいい。
『南無』という言葉は、「自分の想い・都合はすべて捨て
て、何もかもお任せします」ということですから、それさえ
分かっていれば、それさえ感じていれば、“阿弥陀仏” でも
“キリスト” でも構わないはずです。(「アーメン」という
言葉も、「ナム」と同じことなんじゃないかなと思っていま
す。「namu」と「ahmen」と似てますよね、どちらも
「mu」とか「men」とか “自分の口を閉じる” 事をうなが
すのでしょう。「自分の勝手を言うな」と。・・よく知らん
けど)
以前にも少し触れたことがありますが、浄土真宗のお坊さ
んで、藤原正遠という方が居られました。もう二十年程前に
NHKの「こころの時代」で話されているのを拝見したんで
すが、その時に正遠さんがこう言われました。
《阿弥陀様は下に居られる。下に居て、抱いて下さる》
この言葉を聞いた時に、目からウロコが落ちた様な気がし
ました。
普通私たちが「救われたい」と思う時、〈救い〉は上から
来るようにイメージするでしょう。
阿弥陀三尊が浄土から迎えに来るときは、西の空からやっ
て来るし、教会の中にはキリスト像やマリア像が、高い位置
に掲げられている。「フランダースの犬」のラストシーンで
は、天使が舞い降りてくる。
でも正遠さんは、「救いは下にある」と言われた。
そしてそれは、わたしたちが起き伏ししている、その足の
下、からだの下、1mmも離れていない距離でしょう。
常に、抱き止める準備が出来ている。
“自分” にしがみついている〈自分〉の手を離せば、今、
この瞬間に、“阿弥陀仏” の中に落ち、抱き止められる。
「南無」と自分の口をつぐむ。
「南無」と自分の思いを手放す。
その度ごとに、“阿弥陀仏” に代表される〈存在全体その
もの〉に抱き止められる。
宗教臭くない様な言い方をすれば、「自分を振り回してい
る〈エゴ〉から解放される」ということですね。
《実相》
す。
藤原正遠さんのお話を聴けたのは、大きな御縁でした。そ
れこそ〈仏縁〉というものでしょうが、そのおかげで、時折
でも「ナムアミダブツ」と口にする人間になりました。
『ナムアミダブツ』というのを、「ただの呪文だ」「あん
なの仏教じゃない」「御利益目当てのまじないだ」という風
に批判する人もいますが、法然上人も親鸞聖人も、その様な
見方をされるのは百も承知だったんじゃないかと思います。
「ほとんどの信者は『ナムアミダブツ』と唱えても、その
神髄に気付かぬまま終わるだろう」と、しかし、その中に本
当の仏法の姿に気付き、『平生業成』(生きている内に、救
われる事)を果たす者が必ず居るだろうと。
仏縁を結ぶことが出来る方が良いし、仏縁を結べなければ
往生する事は出来ないのだから、仏縁を結び、往生を果たす
為に『ナムアミダブツ』は最適のツールだと考えたのでしょ
う。(その考えが起る事自体も、阿弥陀仏の働きという事に
なりますね)
なんだって私は、仏教や老荘思想に興味を持ち、こんなブ
ログまで書いているのか?
子供の頃から、世の中の「ロクでも無さ」に辟易とし、大
人になっても世の中の「大袈裟さ」や「もっともらしさ」に
鼻白む事ばかりで、とてもじゃないけどまともに付き合って
られないと感じて来ました。
そんな「世の中の作り事」を上手にあしらう為には、仏教
や老荘思想が最適だったということでしょう。
そして、このブログを書いているのも、“阿弥陀仏” の働
きによるのでしょう。
このブログは出来損ないですが、ひとつの〈仏縁〉である
ことは間違いない。
今、これを読んでくれているあなたが、仏教に関心がある
かどうかは知りませんが(ここまで読んで来られたのだか
ら、関心が無いわけじゃないでしょうね)、せっかくの機会
です。自分の都合を言いたくなるその口を、「ナムアミダブ
ツ」とつぐんで、その手を放し、すべて預けて、“阿弥陀仏”
に抱かれてみて下さい。
念のために書いておきますが、真宗の勧誘ではありません
よ。
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