2017年10月31日火曜日
「お肌の曲がり角」を曲がったら。
三年程前に、駅ですごく肌の綺麗な女子高生を見かけたこ
とがあって、その時に “若さとは何か?” という事が急に分
かったんです。
“若さ” とは、つまるところ「肌のハリ」なんだなと。
若ければ、肌にハリがあるのは当たり前だと思われるでし
ょうが、実は “若さ” とは「肌のハリ」だけなんです。
考えると分かっていただけると思うんですが、知識・経
験・様々な能力などは、年齢が高いほど上です。体力も、ア
スリートではなく一般の人の場合、ある程度身体を鍛えてい
る人なら、六十歳ぐらいまで若い子と遜色ないレベルに維持
できます。そう考えると、若い子が、若さ故に年長者より優
れている事は、「肌のハリ」だけなんです。
だからアンチエイジングというと、「肌をどうやって若く
保つか?」ということになるわけです(さらに年齢が進む
と、「体力と足腰の健康」という事になりますが)。
この話を、以前に職場で話したら、周りのパートの女性に
「今、ここに居る全員を敵に回しましたよ」といわれたんで
すが、そうじゃないんです。
「肌のハリが無くなった」
「シワが出来た」
「シミが増えた」
何故、そんな、若い子や自分の若い時と較べて、絶対に勝
ち目のない事で自分を評価しようとするのか?
他の事ならば、たいてい若い子や自分の若い時より勝って
いるのだから、「若い子が私に勝てるのは、“肌のハリ” だ
けね」とうそぶいていればいいと思うんだけど。
自分で勝手に「お肌が・・・」と自己評価を下げて、若い
時よりも圧倒的に勝ってる事を、自分でちゃんと評価してあ
げていない。
「オバサン」という目で自分を見る若い子に対しては、
「アンタにあるのは “肌のハリ” だけでしょ」と胸を張っ
て、鼻で笑ってやればいい。
ところが、「肌のハリ」という一点だけで、「負けてる」
「私は落ちぶれた・・・」みたいに自分を卑下する・・・。
そんなことを三十代ぐらいから始めるもんだから、高齢に
なって色々な事が本当に衰えて来た時に、若い子に敬意を持
たれない「年寄り」になってしまうんじゃないかと思う。
「肌の衰え」なんて、すべての人間に共通で(多少の個人
差はあるけれど)避けようのないことに拘るより、自分が今
まで、泣いたり笑ったりしながら身に付けて来た事の方に目
を向けて、自分を労わって、自分を認めてあげることの方が
優先すべきでしょう。( “両方” というのは傲慢です)
「今、生きてる」ということは、いろいろな辛さや苦しさ
を “自分なりに” 乗り越えてきたという事です。
その、乗り越える過程で、自分は成長したのです。
若い時よりも、人間としての価値は増しているはずです。
「良くやって来たなぁ・・・」
と、自分を慈しんで、自分を信じてあげるべきなんじゃない
のか?
「確かに “肌のハリ” は無くなった。けれども、もっと凄
い、もっと素晴らしい物を、私はいくつも手に入れた」
そう思って間違いは無いはずなんです。
「“肌のハリ”? そうね、有るうちに楽しみなさい。今だ
けだから。でも、そんなもんに頼ってたら、そのうち泣きを
見る事だけは、憶えておきなさいよ」
そういう眼差しを、(思いやりの意味で)若い子に向けら
れる人はカッコイイし、魅力的だと思いますよ。
そうは思いませんか?
(ここまで書いて来て、こんな事を言うのも何ですが、ひ
とつお断りしておきます。「お肌ピチピチ」の若い子と「オ
バサン」が居たら、やはり「お肌ピチピチ」の方に私はまず
目が行きます。“オス” ですから・・・。ご了承下さい。
「まず・・」ですから♡)
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