最近、思う。
いつ死んでもいいし、いつまで生きてもいい。
どちらにせよ、積極的に生きる気持ちが無い。
ただ単に、「見せて貰えるものは、見せて貰おう」という
感じで毎日を過ごしている。
その「見せて貰えるもの」を、美しいとか面白いとか微笑
ましいとか感じられる様に、自分を整える事に意識を優先さ
せている。いや、優先させるように心掛けている。
今、自分が在ることが不思議でたまらない。
この、ここに在る自分は、本当に自分と言っていいのか?
これって、何だろう?
生きる為に生きなければ、死んでしまうと分かっているけ
れど、どうも実感が湧かない。積極的に「生きなければ」と
か思えない。自分というものの存在価値が分からない。
昔は、ペシミスティックに「自分の存在価値が分からな
い」と思ったりしたけれど、今は素直に「自分の存在価値が
分からない」。
世界のありとあらゆるすべてをひとつと観て、はじめて存
在価値が見えてくるように思うから、私という極小の一面な
ど、価値と言えるほどの意味は持たない。もちろん今の私に
は、世界のすべての価値や意味など知り得ないが。
ただただ、生かされるままに生きて、死なされるままに死
にたいと思うのだけれど、浮世の義理もあるので、そういう
わけにも行かない。「そういうわけにも行かない」というこ
とが、“生かされるまま” の現れなんだろうから、そうする
しかない。合わせ鏡を覗く様に、世界が確定しない。
自分が、困ってるような気もするし、安心し切っている様
な気もする。なんだかよく分からない。もしかすると心の病
かも知れないが、たぶん違う様だ。
世の中に生きているので、浮世の義理を果たす為に、生活
上の最低限のお金は必要だけれど、それ以外の事に対して必
要性をあんまり感じない。以前に較べると、そういった気持
ちがかなり希薄になった様に思う。
「生きなければならない」とは思わないし、「生きていた
くない」とも思わない。
“生きていること” は面白いけど、「どうせ終わる事だ
し」という “軽さ” も感じる。「さほどの事か」と思ったり
もする。
バカバカしい出来事
と、「もう終わりにして貰ってもいいけどなぁ」と思うし、
美しい風景や、生き物や人間の子供のこだわりの無い姿を見
ていると「ちょっと長めに生かして貰うのもイイかな」とも
思う。まぁ、どちらにしろ私の決められることでは無いんだ
けど。
何故生きる?
「知らない。」
生きなければならないのか?
「さぁ?」
とりあえず、今、生きている様だから、自分の心が〈おだ
やか〉に〈しあわせ〉に〈おおらか〉に在るように保ちた
い。
風も雨も地震にも動かせないホログラムの様になって、
静かに “ニッコリ” と
い続けたいなぁ。死ぬ時まで。
〈自分〉が邪魔だね。
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