2018年3月18日日曜日

生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり


 道元の有名な言葉に、《生を明らめ死を明らむるは、仏家

一大事の因縁なり》という言葉がある。

 私はこの言葉を「生と死の真実を知ることが、もっとも大

切なのだ」と受け取って来たのだけれど、昨日突然、「単純

に、『生きることも死ぬことも諦めろ』ということだ、と捉

えていいのだ」と思った。


 本質的な受け止め方が変わった訳ではないが、今の自分に

はその方がしっくり来るし、より深く意識の中に入った気が

した。

 『生きることも死ぬことも諦めろ』ということは、「すべ

てを諦めろ」ということになる。「すべて」とは、要するに

〈自分〉ということだ。

 自分の物は何も無い。

 自分の物は何も無いのに、自分の物だと思って動かそうと

するから大事になってしまう。

 人は、他の生き物と変わらず、宇宙のエネルギー循環の中

を動かされているのにもかかわらず、アタマが勝手に “それ

以上の存在” だと思って〈自分〉を生きようとしてしまう。

それがあらゆる苦しみの原因だと。



 わたしたちは、生まれてしまった。生きさせられてしま

い、そして死ぬ。必ず死ぬ。
 

 以前『チェット・ベイカーの絶望』という話を書いた時、

《完全な勝利と、完全な敗北は人を同じ所に連れて行く》と

書いた。

 わたしたちは、自分の意志で生まれて来たわけではない。

 わたしたちは、自分の意志とは関係なく死なねばならな

い  自殺も自分の意志ではない。

 〈自分〉というものは、スタートも終わりも〈自分〉のも

のではない。わたしたちは “完全に敗北している” のだ。

 それを「明らめろ」と。

 それを「認めろ」と・・。

 道元の言葉はそう諭している。



 「仏家一大事の因縁」



 〈自分〉の敗北を認めた時。

 〈自分〉から手を離した時。

 そこが「仏の家」(“仏家” は仏教徒という意味だけど)

であることを知る。

 「わたしは、始めから終わりまで救われているのだ」と。

 「世界は、隅から隅まで救われているんだ」と。



 仏教に限らず、世界には人を救いへ導く言葉が数多く遺さ

れている。

 それらは、単に知識・情報としてではなく、人の意識の中

で触媒として働く。意識を変容させる。

 化学反応の触媒が、温度・圧力・反応させる物質の濃度、

などで効果が変わる様に、“触媒としての言葉” も反応する

意識の状況によって、変容の度合いが変わる。

 十年前に何とも思わなかった言葉を改めて聴いた時に、深

い省察を得たりする。(特別な言葉に限らず、言葉でない場

合もある)

 もしも、すべての状況が完全に整った時に、絶妙のタイミ

ングで最適の言葉を聴いたら・・。エゴは粉々に砕けて雲散

霧消する。「生」も「死」も意識から消えてしまい、〈思

考〉の無い《意識》だけがそこに在る。



 『生も死も諦めろ』
 

 《 わたしたちは、始めから終わりまで敗北している 》



 敗北しているから、戦わなくていい。

 一体、何と戦っているのか?
 

 完全な敗北は、完全な勝利となる。

 わたしたちの世界は、不完全な敗北と不完全な勝利に満ち

ている。つまり「あきらめが悪い」のだ。



 話がひと回りしたようだ。



 《生を明らめ死を明むるは、仏家一大事の因縁なり》  



 今回は私の中で、以前とは違う触媒反応を起こしたよう

です。

 でもまだ、意識の中には反応しきれていないエゴがブクブ

クと有害なガスを発生させている・・・。 




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