2018年3月16日金曜日

テクノロジーに、バンザイ(降参)!


 世界中の何処か、私なんかのあずかり知らぬ所で、

大きなプロジェクトが沢山進められていて、世界が大

きく変わろうとしているらしい。


 けれど、人はこの世界に何ひとつ付け足すことはで

きないし、何ひとつ取り去ることもできません。

 せいぜい、右の物を左にやったり、何かを裏返した

りするだけのことです。

 わたしたちにできることは、世界を味わうことだけ

ですし、それだけがすべきことです。

 あくせくと何かを為す必要などありません。
 

 意図的に何かを為せば為すほど、そこから意図せぬ

ものが生まれ、それに対処するために “しなければな

らないこと” が生まれます。

 右の物を左にやった為にバランスが崩れます。そし

て、わたしたちは崩れたバランスを戻そうとします

が、その行為自体がさらにバランスの崩れを酷くして

しまいます。そのことは、政治、経済、環境問題など

の、人類の歴史に如実に表れています。


 一見、人の幸福に繋がっているように見えること

も、裏へ回ればより大きな不幸を生み出しているもの

です。山を築けば、何処かにその分の穴が出来ます。

それだけならプラスマイナス、ゼロですが、「山を築

く」という労力が、何処かにマイナスを生んでいるは

ずなので、全体ではマイナスになります。

 さらに、築いた山を崩れないように維持するという

労働が派生します。


 わたしたちが、無から有を生み出すことが出来るの

なら、人為によって幸福になることも出来るでしょう

が、わたしたちに出来るのは「右から左へ物を動かす

こと」でしかありません。いずれは無に帰すムダな行

為でしかありませんし、それが人為的であればある程

ムダさ加減も増します。


 そしてわたしたちは人為の極地へ行こうとしていま

す。人間のレベルを超えたAIを生み出そうと躍起で

す。 

 AIは、人為のまださらに先です。

 そして、AIの生み出すものは、その機能と意味によ

って、人間の「意図しない」、いえ「意図できない」

ものです。人間がそれに対処出来るかどうか定かでは

ありせん。そのこと(シンギュラリティ)を心配して

いる科学者も多くいるようです。

 わたしたちのアタマは、人為の生み出す問題を人為

によって解決できず、人為に人為を重ねて、問題を自

らの手に負えないレベルにしてしまい、[超人為]に

なんとかさせようとしているようです。
 

 別にAIを引き合いに出さずとも、「規則」「法律」

などの[超人為]でも、問題解決の為に作ったものに

縛られ、新たな問題を生み出すのは普通です。

 そのままにしておいた方が良いことを、考え過ぎて

いじるから、余計な手間が増えてしまう。

 素直に生まれて、素直に生きて、素直に死んだらい

いのだろうと思うけれど、わたしたちのアタマはそれ

じゃ気に入らないらしい。


 けれど、初めに書いた通り、わたしたちは右から左

へものを動かすだけです。

 子供が、車のオモチャを「ブーブー」と左右に動か

すのと本質的な違いはない。


 AIを生み出して、すべてをそれに任せる夢が叶った

ら、人類は、めでたく保育器の中で「バ〜ブ〜」と寝

ていられるのだろう。





0 件のコメント:

コメントを投稿