家の近所でもソメイヨシノが満
開となった。
普段は花など見もしない人たち
が、この時ばかりは「サク
ラ!サクラ!」と口走る。花好き
の人なら尚の事テンション
が上がったりするのだが、誰もが桜に心
を奪われている間に、静かに姿を消す花
もある。水仙の花・・・。
冬の間、わたしたちの目を楽しませてくれる花は少ない。
ビオラやプリムラなどいくつか有るけれど、それらはまだ
もう少しの間人々の目に留まる。けれども水仙は、冬の間静
かな佇まいで花を咲かせ続け、人々の目を楽しませるのだ
が、桜の熱狂の最中に花の時期を終えるので、いつの間にか
消えている。
「水仙の花が終ったな」と気付いてくれる人は少ない。
冬の間、“孤軍奮闘” よろしく人を楽しませながら、人に
忘れ去られ、「キレイだったよ」というねぎらいなど受けぬ
ままに消えて行く・・。
「ちょっと失礼だよな」と、水仙の代わりに呟いてみたり
するのだが、もちろん当の水仙はそんなこと関係が無い。
水仙の花は、静かにやって来て、静かに去って行く・・。
冬の寒さの中での、控え目ながらも、その凛とした佇まい
は水仙だからこそのものだ。
自己主張はしない。派手さは無い。けれど、確かに美しく
気品がある。静かに佇む高貴な人のように・・・。
桜の悪口を言おうとしてるのじゃない。私も桜は好きだ
し、花見もする。桜が目立つのは桜らしいことで、桜の自己
主張でもない。“ただ、桜が桜している” だけのこと。
水仙が、静かなのは “水仙が水仙している” だけのこと。
忘れられている内に消えてしまうのも、水仙らしいだけの
ことで、水仙が何か不満を言うわけでもない。けれど、花を
愛でる側の人間から、一言あってもいいんじゃないかという
気がするんです。「綺麗だったよ。また、今度の冬にね。」
というぐらいのことが・・。
花に限らず、わたしたちは “新しいもの” 、“やって来る
もの” 、“目立つもの” に心を奪われ、それまで自分を喜ば
せ、安らがせ、支えてくれたものを忘れがちなのは、間違い
ないでしょう。
咲き乱れる桜の足元で、静かに消えて行こうとしている水
仙たちに、そして、水仙のような “人” や “事” たちにも少
し思いを寄せる方が、生きることに豊かさをもたらすんじゃ
ないだろうか・・・。
明日は、花見をしようと思う。
桜と、まだ少し名残りを惜しんでる水仙のどちらにも、
「綺麗だね」と声を掛けよう。
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