2018年3月7日水曜日
犯罪者の責任・・・
女子マラソンの有名選手だった女性が、万引きの再犯で逮
捕されたというニュースが、数日前に流された。
「クレプトマニア」といわれる、精神疾患の可能性が高い
だろうと報じられている。
一種の依存症と考えていいのだろうが、その行為が、〈被
害者のいる犯罪〉に直結しているので、問題が大きい。
前に書いた事があるけれど、犯罪者になるつもりで生まれ
て来る人間はいない。
何かの依存症になるつもりで生まれて来る人間もいない。
不幸を感じたくて生まれて来る人間もいない。
誰だって、スムーズに、問題なく、しあわせに生きたいだ
ろう。しかし、生きて行く間に、どこかでボタンの掛け違い
が起きる。自分がしあわせでいられる生き方と、ズレが出て
くる。そのズレが、時には社会不適応を引き起こし、犯罪行
為を起こすまでになってしまう。
そういった人に対して、私は「自己責任」の一言で片づけ
る気にはなれない。『人には自由意志は無い』という立場の
人間ですからね。
「クレプトマニア」のようなものに限らず、犯罪全般が
「病気」だと思う。
少なくとも、罪を犯したその時は、“法律を守れるだけの
倫理観を喪失している状態” なのだ。
「犯行当時『心神耗弱』であったか」が問われることがあ
るが、それを言えば、どんな犯罪者でも「犯行当時は『心神
耗弱』」に決まってる。その時は、犯罪を抑制できるだけの
倫理観が無くなってるんだから・・・。
サイコパス傾向の強い犯罪者の場合とか、重罪や悪質性の
強い犯罪の場合は別として、犯罪者に与えられるべきは、罰
よりも、治療とサポートだろう。単に、罰を与えるだけで
は、また罪を犯す可能性が高く、本人にとっても社会にとっ
ても、プラスにならない。
「犯罪者になろう」と思って生まれて来る人間はいない。
そんな人生、誰も望まない。
本人の責任ではない。
私はなにも「無罪放免にしろ」と言うのではない。
社会には法律があり、秩序は必要だ。それを乱す者をその
ままにしておくわけにはいかない。“罪” を償わないわけに
はいかない。特に〈被害者のいる犯罪〉は。
けれど、その人間全体を否定する事には異議を唱える。
「犯罪者になろう」と思って生まれて来る人間はいない。
それが例えサイコパスでも、凶悪なテロリストでも、罪を
犯した責任は本人に有るが、そうなった責任は本人には無
い。
法の定めるところに則って、「死刑相当」であるならば、
死刑にされても仕方がない。本人がその責めを負わなくては
ならない。けれど、そうなった責任は本人には無い。
倫理観のかけらも無く、罪悪感も持たず、反省もしない。
その様な人間であっても、何の後悔もしない人間でも、そ
の魂がそれを望んだとは思えない。
人として最低最悪。人でなし。畜生にも劣る。
そんな人間であっても、人の心を持たない人間であって
も、その魂はそんな自分になりたいとは、思わなかったろ
う。
いったい誰が、そんな人間になりたくて生まれて来るだろ
う?
もしかしたら、私がそんな人間に生まれていたかもしれな
い。もしかしたら、これから私がそうなるかも知れない。
自分や自分の大事な人間が、凶悪犯罪の被害者になるかも
知れない。
その時、私は恨むだろう。犯人を憎むだろう。けれど、私
が犯人を裁くことは出来ない。
その犯人は、私にならなかった〈別の私〉だろうから。
件のマラソン選手や、そのような境遇に在る人たち。
“「立ち直りたい」と願っている、罪を犯した人” たち
が、安らぎを持てるようになることを、祈る。
私に出来るのは、そんなことしかない・・・。
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