2018年3月31日土曜日

天上天下唯我独尊

須磨寺『誕生仏』


 「天上天下唯我独尊」

 お釈迦さまは、生まれてすぐに七歩歩いて、そう言った事

になってます。

 こういうのって、究極の知性であるお釈迦さまに、胡散臭

いイメージを付けてしまって、〈贔屓の引き倒し〉になりか

ねないと思うんだけど・・・、「神がかり」にしたいんだな

ぁ。



 理解しきれないから祀り上げて、祀り上げている自分の、

 “見る目” の正しさに酔いたいのでしょうねぇ。

 お釈迦さまにすれば、迷惑で不本意な話でしょうが、やが

てそうなる事は、生前から見越していたはず。だから梵天に

勧められるまで沈黙していたのでしょう。(梵天とは何か?

というのはまた後で)

 でも、語ったからこそ、無用な装飾や脚色に埋もれながら

も、本当の仏縁があった者には、法は伝わった。

 そして、法を受けた者は皆思ったことだろう「天上天下唯

我独尊」。




 写真は、須磨寺万神殿の『誕生仏』です。

 誕生仏は色々見ましたが、この誕生仏が一番好きです。

 新しい物ですし、作者も知りませんが、表情も姿も素晴ら

しいと思います。「天上天下唯我独尊」の深淵さが、よく表

現されていると感じます。



 「天上天下唯我独尊」という言葉の捉え方は、いくつかあ

るでしょうが、「ただ、私だけが尊い」というのは頂けな

い。「この世界で、自分はただひとりだという事が、尊い」

と捉えたいところです。

 それはお釈迦さまのみならず、すべての人、すべての存在

が「唯我独尊」だと・・。「ただひとつの絶対の存在」だと

いうこと。

 天地を指し、世界のすべてに包み込まれている『誕生仏』

は、観る者に語りかける。

 「これは、あなたの姿なんだよ」と。



 私も「唯我独尊」、あなたも「唯我独尊」、誰も彼もが

「唯我独尊」。ひとりひとりすべての人に、すべての存在

に、世界のすべてが与えられていると・・・。




 【〈梵天〉とは、古代インドの神〈ブラフマー〉であり、

万物実存の根源「ブラフマン」を神格化したもの】(ウィキ

ィペディアより)ということですが、要するに “宇宙の〈存

在〉そのもの” “エゴ以外のすべて” “宇宙意識” というよう

なものでしょう。

 お釈迦さまが悟った〈そのもの〉が〈梵天〉で、お釈迦さ

まに教えを説くよう勧めたのは、〈梵天〉自体に、〈エゴ〉

を払おうとする、働き・在り方があるのでしょう。



 そっとしておくと、泥水が自然と澄んで来るように、〈意

識〉においての “濁り” である〈エゴ〉を沈めようとする働

きが存在している。

 それが〈梵天〉であり、それゆえに、お釈迦さまに教えを

説くように勧めた。

 というより、そもそも〈梵天〉がお釈迦さまを悟らせたと

観るべきでしょう。



 「拈華微笑」の話で、お釈迦さまが、摩訶迦葉に教えを託

したように、〈梵天〉がお釈迦さまに教えを託した。そし

て、その〈梵天〉の “働き” は、当然すべての人間に及んで

いるはずです。

 すべての存在、すべての人間が、『天上天下唯我独尊』。

 すべてが『唯我独尊』だから、天上天下が『唯我独尊』。

 個々が、天上天下の一部で、同時に天上天下の全部。

 ただ見ればよい。

 ただ受ければよい。

 ただ沈黙すればよい。

 あれやこれやとしゃべり続けるアタマを少し黙らせて、

 観てみよ!

 聞いてみよ!

 触れてみよ!

 味わってみよ!

 嗅いでみよ! 

 世界に満ちわたる、わたし(梵天)を!

 そなたの中の、わたし(梵天)を!

 天上天下に、唯我独尊!


 宇宙いっぱい隅から隅まで、ひとりひとりの心の底まで、

梵天〉が、ささやき続けている。

 たった一言・・・、「ね!」と・・・。


 (「な!」でも、「ほら!」でもいい。言葉は邪魔になる

  から。言葉以前の世界と自分だから・・・)








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