またもや寒波がやって来て、昨日、今日と二日続けて雪が
舞っている。
確かに寒いが、陽射しの色合いと強さは、もう春が近付い
ていることを示している。我が家のボタンとクレマチスは、
もう新芽をふくらませ始めたし、近所ではオオイヌノフグリ
も咲いている。
人の営みは気象に大きく影響される。というより気象の在
り方に、その存続が掛かっていると言うべきだろう。
人のみではなく、地球上のほぼ全ての生物の存亡を、気象
が左右する。
毎年、違える事無く季節はめぐって来てくれる。
多少の「暑い・寒い」や、雨や雪の「多い・少ない」はあ
っても、この一万数千年は破滅的な変化はなく、なんとも穏
やかな時代が続いている。
以前紹介した『バックパッキング教書』の中で、田淵義雄
さんがこう書いている。
〈ぼくの考えでは冬になると、文明は20~30年昔におし
もどされる。深い雪に埋まる山脈なら大昔のままになる。雪
は冷たい白い手で人間の文明をグーッと昔におしもどしてく
れる〉
先日の北陸の大雪で、立ち往生した車を動かすのに、自衛
隊員がスコップで雪をかいているのを見て、田淵さんのこの
言葉を思い出していた。
人間は、気象のダイナミックな振幅の中の、ほんのひと時
の温暖な安定期に、夢を見させて貰えているのだ。
少々寒さが厳しかろうと、いつもと変わらず春はめぐって
来てくれる。木々は芽吹き、草は萌え、花が咲く。
けれど、今回の寒さのような〈気象の揺れ〉が、もう
少し強くなっただけで、人の暮らしは深刻な影響を受ける。
人は氷河期さえ生き延びて来た。その時代には化石燃料が
無かったので当時の人口は少なかったが、化石燃料に依存し
ていなかった故に、氷河期のダメージは少なかっただろう。
しかし、近い将来に大きな〈気象の揺れ〉が
化が
の文明は、滅びはせずとも壊滅的なダメージを受けることは
必至だ。スコップで雪をかいている自衛隊員たちの姿を見て
いて、そう思う。たった数十センチの雪が降っただけで、人
力に頼らざるを得ないのだ。
確か池田清彦氏だったと思うが、「ここ百万年ぐらいの氷
河期と間氷期のサイクルを考えると、もうすぐ次の氷河期が
来る可能性が高いので、『地球温暖化』は氷河期の影響を少
し和らげてくれるかも知れないよ」といったことを言ってい
た。もちろん池田氏 流の皮肉を込めたブラックジョークだ
が、気候変動は人類の存亡を決定的に左右する。
今、わたしたちが享受している文化・文明は、つかのまの
気象の穏やかさに依っている。
『地球温暖化』が本当に起きているのか、それが人間の活
動の影響によるのか、私はあまり興味は無いが、『温暖化』
にまつわる議論には、胡散臭さや浅薄さを感じる。
「氷河期がなぜ起きるのか?」
「人類史に記録のある、ちょっとした温暖期や寒冷期が、
なぜ起きたのか?」
そんな事もまだ解明されていないのに、「地球温暖化を防
ごう!」というアピールがなされることに、〈人の活動が地
球を温暖化させてきた〉ことと変わらぬ人間の傲慢さを感じ
る。(温暖化が人間のせいだとしてですよ)
気象が大きな揺れを起こした時、それが「人間活動による
温暖化」であろうが「自然な温暖化」であろうが、今問題視
されている程度の事は消し飛んでしまう。
「温暖化」がどうのこうの言う以前に、自然に対する根本
的な謙虚さを取り戻す必要があるだろうと思う。
こんなことを言うと嫌われるが、〈ヒューマニズム〉とい
うものを見直さなければならない時が来ているだろう。
我々は、お互いの命と暮らしに対して、どこまで手助けし
合えるのか? どこまで手を差し伸べるべきなのか?
もちろん正解は無い。
しかし、「〈現代の暮らし〉と〈ヒューマニズム〉を疑い
ながら、この先へ進んで言った方が良いだろう」というの
は、間違いないと思っている。
「〈ヒューマニズム〉絶対」のまま行けば、人間は近い将
来、全人類規模のとてつもなく重い選択を迫られるだろう。
自分自身の〈生と死〉も含めた 、“自然の総体” への謙虚
さに基づいて、人としてのしあわせを捉え直さなければなら
ないと思う。(もう遅いかも知れないけれど)
と、まぁ大仰に深刻ぶっても仕方がない話で、“世の中”
を回しているのは “世の中” 自体なので、いつもの如く、私
は個人のしあわせが大事。
氷河期が来ちゃったら文明は終わりだし、氷河期も温暖化
も起らなくても、今生きてる人間は100年後には、ほぼ死ん
でる。だから、みんな好きなようにやればいい。
ただ、その「好きなように」の “好き” が、“エゴを満た
す為のテクノロジー” や “すぐに消えてしまう流行” だった
りするのは、「つまんないな」と思う。薄っぺらくて、私は
やだね。
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