2018年2月28日水曜日

一緒に、逃げない?


 この三日間、面倒なことを考え過ぎて疲れてしまった。

 もうあんな事は止めようかなと思う。

 読む方だって面倒臭くて、分けわかんなくて、面白くはな

さそうだし。

 考えたことを書いたのではなくて、考える過程をそのまま

書いた様なもんだから、本来ひと様に見せるようなものでは

ないし・・・。



 じゃぁ、なんでそんなものを書くかというと、このブログ

が “正解を載せる” というようなものではないからですね。



 私の書くことは、「生きること」や「世界」などという、

はなはだ面倒な問題に対する私なりの解答であって、クイ

ズのように “決まった答え” があるわけじゃない。そもそも 

“決まった答えが有る問題” を扱っていない。

 人によって解釈が違い、納得する答えも違う問題ばかりを

扱っている。私の答えを見て「なんだ、このバカ。」と思わ

れる確率だって高い。

 それでも書いて、考えを詰めて行く様子まで見せて、何を

したいかというと、“読む人の考え” を揺さぶりたいんで

す。

 「教えられた正しさ」や、経験によって知った「正解」

や、世の中の「常識」といった、一般に “普通”、“当たり

前” とされてる考えを揺さぶりたい。


 「こんなのだってアリじゃない?」

 「こっちが正解かも知れないよ?」



 そんな風な投げかけをして、“読む人の考え”   つまり

エゴをぐらつかせたいんです。



 クイズの答えや、数学の答えのような「約束事」には、言

葉に出来るような「正解」というものがあるけれど、〈生き

ること〉にはハッキリとした「正解」など無い。

 にもかかわらず、「常識だ」などと言って、その場しのぎ

や、ご都合主義の答えを振り回す人間ばっかりなので、イヤ

になるんです。それに、そういう人は自分の持ってる “答

え” に確信が無いものだから、心の底では不安を感じて苦し

んでる。それを「救ってあげよう」という思いやりの気持ち

でもあります。(おお、上から目線だね。) 
 

 その為には、揺さぶらなければいけない。

 アタマに詰まった 、“がらくたの思考” の価値を揺さぶら

なければならない。「これでもまだ、それが正解だと言えま

すか?」と。
 
 だから、私の書くことが「正解」かどうかなんて、あまり

関係ない。「正解」ならそれにこしたことはないですが、揺

さぶることが出来たら、それでいいわけです。
  

 けれど、そんなことは、ただ単に迷惑かも知れない。

 「寝た子を起こす」だけかも知れない。

 でも、このブログに出会ってしまったのが “運のつき” 。

 上手に「良い縁」にして貰うしかないでしょう。

 それに、私の書いてる事が、独りよがりの妄想なら、そも

そも人の考えを揺さぶる力などないでしょうし・・。



 誠に思い上がった言い方で恐縮ですが、私は〈自分〉と

〈あなた〉を救いたいわけです。“自身のエゴ” と “世の中” 

という「エゴの母体」が作りだす、〈地獄〉からね。

 「一緒に、逃げない?と。




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