前回の続きです。
わたしたちには〈今〉しかないわけですが、ひとつ前の
〈今〉は何処に行ったのでしょう? あるいは “昨日” は、
“去年” は何処にいったのでしょう?
昨日、わたしは “昨日” を経験しました。
昨日、「昨日の私」がいました。
けど “昨日” という、何か実体があるわけでありません
ね。“昨日” と呼ばれる時間の範囲の中に存在した、出来
事
す。
わたしたちは、経験したことを〈過去〉と呼んでいます。
これから経験するであろうことを〈未来〉と呼びます。
でも〈今〉しか存在しないのなら、〈過去〉は存在しなか
ったのと同じではないですか?
いえ、〈過去〉なんてそもそも無いんじゃないですか?
〈今〉しか存在していないんですから。
〈過去〉なんてものが「存在している」とするのは、おか
しなことです。
ところがわたしたちは、「昨日はああだった、こうだっ
た」と〈過去〉を語りますから、わたしたちのアタマの中に
は〈過去〉が存在しています。けれど、現実には〈過去〉は
もうすでに無い。では、アタマの中にはなぜ〈過去〉が存在
するのでしょうか?
わたしたちのアタマが作ってるんでしょうね。〈過去〉
を。
とはいうものの、あなたの部屋やスマホのように、ほぼ昨
日と同じ状態で存在し続けているものがほとんどだし、「自
転車の乗り方」のように、〈過去〉に経験し習得した能力な
どは、わたしたちの中に残っているので、〈過去〉は〈今〉
に持ち越されているように見えます。それらは「アタマが作
っている」のではないから、〈過去〉が無くなり切っていな
いということではないのか?
つまり、〈過去〉はもう無くなっているけれど、「過去の
状態」は変化して引き継がれているということにならない
か?
ですが、「変化して引き継がれてる」というのもおかしな
話で、「変化」したら「引き継がれた」ことにはなりません
よね。「違うもの」ですから。やはり「過去の状態」は存在
していないということになりますね。
やはり〈過去〉はアタマの中にしか存在しない。いや、
〈過去〉とみなされるものが、アタマの中に存在していると
言うべきでしょうか。
と、ここまで来たところで、冒頭に書いた “ひとつ前の
〈今〉” という言葉なんですが、“ひとつ前の〈今〉” と現
在の〈今〉というのは、区切ることは出来ませんよね?
例えば、鉄の塊の中心の分子と、そのとなりの分子は原子
や電子のレベルでは区切ることが出来るでしょう。でも、
〈今〉と “ひとつ前の〈今〉” の間には、区切りが無い。
このように区切りが付けられないものは、たぶん〈空間〉
と、わたしたちひとりひとりの中に拡がっている〈意識〉だ
けでしょう。
わたしたちは〈時間〉という尺度を持ち出して、〈意識〉
の中で〈空間〉と “物の変化” を区切りますが、それは、わ
たしたちのアタマが “世界” を捉える時の「性質」なのであ
って、本当は〈意識〉と〈空間〉と “物の変化” は区切るこ
とが出来ない。アタマが、その「性質上」仕方なく、〈時
間〉を使って〈過去〉〈今〉〈未来〉という区切りを付ける
んだと思います。
「わたしたちには〈今〉しかない」と言いましたし、誰で
も「今しかない」と思っているでしょうが、“ひとつ前の
〈今〉” と ”そのひとつ前の〈今〉” と “そのもう一つ前の
〈今〉” を区切ることは出来ません。永遠に続く〈過去〉の
何処も区切ることは出来ません。
さらに、“次の〈今〉” と “その次の〈今〉” を区切ること
も出来ません。永遠に続く〈未来〉も、何処を区切ることも
出来ません。
わたしたちはのアタマは、その「性質上」 、“世界” の中
に〈時間〉を見てしまい、〈過去〉〈今〉〈未来〉を感じざ
るを得ないけれど、本当は〈今〉という瞬間に、すべての
〈過去〉とすべての〈未来〉が重層的に存在しているのでは
ないでしょうか。
けれど、その「すべての時間」の一瞬(一点)しか知覚で
きないわたしたちのアタマにとっては、〈今〉しか存在しな
いことになっている。それが〈時間〉の真実かも知れない。
それなら、わたしたちが、過ぎ去ったはずの〈過去〉を使
って、「記憶」したり、「考え」たり出来ることを説明でき
ます。(説明できてるの?)
分かりにく過ぎると思うので、整理します。
・世界の始まりから終わりまで、実際には、すべての時間
が「この瞬間」に重層的に存在している。
・そのすべての時間を、わたしたちのアタマは〈過去〉
〈今〉〈未来〉に分けてしまうが、それはアタマの性質
・無いはずの〈過去〉を使って、「記憶」「思考」が可能
なのは、実際には〈過去〉と〈未来〉が、〈今〉と重層
的に存在しているからである。
(と、書いてはみたものの、自分でも信用しきれない。
だって、やっぱりアタマで考えてるんだもの)
疲れました・・・。今日はこれで終わります・・。
東福寺の庭でも見て、頭を休めて下さい。
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