時間と記憶について、どう考えても不思議な事があるんで
すが、今までその件に関して誰かが述べているのを、見た事
も聞いたことも無くて、ずっと「誰も、何とも思ってないの
かなぁ?」と思っています。
それはですね、現実というのは「今」しか存在していませ
んよね? 今、この瞬間しか現実はない。
そこでですよ、例えば時計の秒針がひとつ進んで、「カチ
ッ」と音を立てたとします。(デジタルの液晶時計しか知ら
ないなんて言わないでね)
「カチッ」の「カ」が鳴った時、「チッ」はまだ鳴ってい
ません。「チ」が鳴った時、その前の「カ」はもう現実には
存在していませんし、「ッ」の方もまだ存在していません。
そして「ッ」が鳴る時には、「カチ」はもう過去になってい
て、存在していません。「カ」と「チ」と「ッ」は、それぞ
れ別の瞬間
そして、それを捉える私やあなたの脳も、その時々にそれ
ぞれを捉え、次の音を捉えた時には、もう前の音を捉えた脳
は存在していません。
「カ」を捉えた脳。
「チ」を捉えた脳。
「ッ」を捉えた脳。
それぞれが別の時間に存在しています。
それぞれにとっては、お互いは現実として存在していない
はずなんです。現実は「今」しかないのですから。
なのに、存在しないお互いを繋げて「カチッ」というひと
かたまりの音として認識できる・・・。何故、脳は無いもの
を繋げられるのでしょう? 脳の中には、「時間」が存在し
ていないとしか考えようがありません。不思議です・・・。
この世のすべてが変化し続けていることは確かです。
この世には、今、この瞬間しか存在していないことも確か
です。過去は、一瞬前の “過去の脳” と共に、過ぎ去って存
在していない。それなのにわたしたちの脳は、何故、ものの
“動き” を捉えたり、考えたり、“記憶” を持ったり引き出し
たりできるのでしょうか?
それを考えると、さっきも言ったように “脳の中には「時
間」が存在していない” か、“〈意識〉は「時間」の外に存
在している” かの、どちらかだとしか思えないんです。
どちらにしても、そのことに想いを致すと、“時間と空間
を越えた「何か」” というものが、わたしたちの〈意識〉に
関わっていることを意識せざるを得ません。
「道-タオ」や「仏」や「神」や「存在」や「無」など、
さまざまな言葉で表されて来たものを・・・。
以前、「変化は存在するが、時間は存在しない」というこ
とを書きました。(『〈永遠の生命〉を差し上げます』)
「時間」は、変化を認識する為に、わたしたちの脳が必要
に迫られて生み出すものだと。
それはまだいいとして、わたしたちには「この瞬間」しか
ないはずなのに、何故「過去の瞬間」と繋ぎ合わせ
て、考え、認識することが出来るのでしょう?
考えるのにも「時間」が要ります。考えている内に、
「考え」はどんどん過去に消えて行っているのに、なぜ考え
られるのでしょうか?
やはり、〈意識〉は「時間」の外に在るのでしょう。
「涅槃」などと呼ばれたりする状態は、わたしたちの思考
が止まった時に、〈意識〉本来の持つ「永遠性」(または
「無時間性」)が表に出てくることを指すのかも知れませ
ん。
《 この瞬間は、すべての時間を含んでいる 》
そう言って良いように思います。
こんな話に付き合うと、眠れなくなるかも知れませんね。
誠に申し訳ない。
(続きがありますが、長くなってしまうので、それは次
回に)
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