2018年2月17日土曜日

すごいぞ!羽生結弦!


 今日、羽生結弦くんが金メダルを獲った。

 特に興味は無いけれど、鬼気迫るような集中力の演技を観

ていると、こちらのからだに力が入ってしまった。素晴しか

ったと思う。

 とはいえ、私は昨日、「どんな業績も個人のものではな

い」などと書いた人間である。本気で言っているのか、怪し

いものだ。
 

 いいえ、本気で「素晴らしかった」と思います。

 金メダル。立派です。おめでとう!

 “世の中” の中では、素直に「良いこと」は良いし、「楽

しいこと」は楽しい。そういうことに、いちいち難癖を付け

る程メンドウな人間ではありません。

 「楽しいことは、楽しい!」

 人間的です。それでイイ。それが自分のコントロール下に

あるのならば。


 日本のことわざだと思うけれど、『一盃は人酒を飲み、二

盃は酒酒を飲み、三盃は酒人を飲む』というのがあります

ね。

 「一盃」は楽しみ。

 「二盃」は習慣、または惰性。

 「三盃」は依存症。

 という感じでしょう。


 羽生くんにとってスケートとは、もうすでに「楽しみ」の

レベルではないでしょうし、「習慣・惰性」といった生半可

なものでもないのは明らか。

 「依存症」ではないと思うけれど、それに近いものではあ

るかも知れないね。

 今の彼にとって「生きることの中心」であるのは間違いな

いことで、それがこの先「依存症」になってしまわないよう

にと思います。「スケート無しでは生きて行けない・・」な

んていうのは、人として〈失敗〉ですからね。

 (今丁度、窓の外を “暴走族” が爆音を立てて通って行き

ました。あれは「依存症」ですね。毎週土曜日のこの時間

に、キッチリと現れます。“社会のルール” からはみ出して

おいて、“自分達の社会のルール” をキッチリ守っている。

結局、「ルール」は欲しいようです 😄。笑っちゃ可哀相か

な。子供のすることだものね 😁 (結局、笑う)


 話を戻して。


 「個人の業績」や「個人の生き方」というものを見て、わ

たしたちはしばしば感動します。わたしたちがそこに見るの

は、“人間の可能性” と “ひたむきさ” であろうと思います。

そしてそこに “謙虚さ” というものがあれば、それは一層強

い印象を与える。

 逆に、どんなに素晴らしい業績でも、そこに “自惚れ” が

あれば、台無しになってしまう・・。


 “謙虚さ” があるということは、「コントロールが利いて

る」ということを表わしています。

 何のコントロールか?

 〈エゴ〉をコントロール出来てるということですね。

 その人が、〈アタマ〉に乗っ取られていないということで

す。


 わたしたちが、誰かに感動を覚える時。その人が〈エゴ〉

をコントロールしていることに、無意識に「希望」を見てい

るのかも知れません・・・。などと、今思いました。でもま

ぁ、思い違いも多いとは思いますがね。感動する側に「見る

目」が無い場合もありますから。(羽生くんに対してのこと

を言っているのではないですよ・・・)


 「“社会のパーツ” である〈個人〉が、社会的に大きな評

価を得る」。その時、その人が、“社会のパーツ” であるこ

とからは逃れられないとしても、社会(エゴ)から、ほんの

わずかでも離れて  謙虚さを保って  いられたら・・。

 それは、わたしたちに『本当の夢』を与えるのかも知れま

せんね。


 (今日のタイトルですが、茶化してるんじゃないですよ

  素直に「すごかった!」です。ホント。)




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