2018年2月7日水曜日
修行しなくちゃなぁ。
一昨日、『錦鯉の世界と自分の世界』について書いた時
に、自分のことを「まだまだ修行が足りないなぁ」と書きま
した。
普通、〈修行〉というと、「経験を積んで何かを身に付け
る」という様なイメージだろうと思います。「職人が技術
を身に付ける」といった場合はそれでいいのでしょうが、
「精神的な修行」という場合は違いますね。
ずっと前にも書いたのですが、〈修行〉とは「修めて行く
こと」だと、私は思っています。それでは「修行が足りな
い」とはどういうことか?
〈修行〉=「修めて行くこと」ですが、「おさめる」とい
う字にはいくつか有りますね。
「納める」「収める」「治める」。
「納める」と「収める」は、【中に入れてしまう】といっ
た意味です。「治める」は、【安定させる。しずめる】とい
ったこと。「修める」は、【乱れを正す。身に付ける】とい
う意味。
総じて言うと、「おさめる」とい言葉は、【安定させ、正
し、落ち着かせる】ということでしょう。
ですから、〈修行〉というのは、「落ち着かせ、安定させ
て、行く」ということと捉えていいでしょう。
何を、何処に「落ち着かせ、安定させる」のかというと、
“出来事の精神的インパクト” を、“心の中” に、「落ち着か
せ、安定させる」わけですね。
わたしたちは、日々、一刻々々、さまざまな出来事に出会
って行きます。身体の中でも、身体の外でも、物理的・肉体
的な事だけでなく、情報としての出来事にも出会う。
そして、それらの出来事に出会うたび、多かれ少なかれ、
喜び・悲しみ・驚き・怒り・妬み・失望・・・、という様な
〈感情〉を持ちますが、それらの〈感情〉は “出来事” その
ものではありませんし、“出来事” に「作り付け」になって
いるわけでもありません。わたしたちの意識が “出来事” を
受け止めた時に、その衝撃が思考の中に起こす「揺れ」や
「波」といったものです。わたしたちの〈思考〉が起こすも
のです。
その「〈思考〉の波」=〈感情〉は、わたしたちの心を揺
さぶります。心が揺れます。
その「揺れ」が、『嬉しい』といったものならば、わたし
たちはブランコにでも乗った様に楽しみますが、先程挙げた
様に、〈感情〉というのは、ネガティブなものが優勢です。
ネガティブな方が多数派です。「感情的になる」という言葉
は、良い事としては使われませんね。
仮に『嬉しい』と感じたとしても、それも一時のものなの
で、やがて『嬉しかった・・』という失望が訪れます。
「感情的になる」ということは、おしなべて、人をネガテ
ィブにさせてしまいます。
そこで、〈修行〉という取り組みが出て来ます。
「感情的にならない」
「心が揺らがないように、安定させる」
そういう、“出来事” の受け止め方をして行くこと。
一般的に〈修行〉というと、お坊さんの〈修行〉のイメー
ジなんかから、「行を、修める」という捉え方で(坊さん自
身にも、そう思ってる者は多いでしょうが)、「あるプロセ
スなりミッションなりを修了させて、次のステージに至る」
といったものだと思われているのでしょう。でも〈修行〉
は、「行を、修める」という “終り” や “区切り” があるも
のではなくて、「修めて、行く」という “ずっと続いて行
く” もので、言い換えれば『生きること』そのものです。
「生きてる」だけで、みんな〈修行〉です。
「修め方」が下手なら、泣いたり、恨んだりするだけのこ
と。
上手に修めれば、心が波立たず、揺さぶられず、「落ち着
いて生きて行く」ということですね。
わたしたちは〈思考〉の癖で、“出来事” を「ポジティ
ブ」・「ネガティブ」という様に、すぐに分けます。
分けた上で、「ポジティブ」は心の “ポジティブ側” へ、
「ネガティブ」は心の “ネガティブ側” へ落とします。
問題は、「ポジティブ」・「ネガティブ」に分けることに
も有りますが(それは〈思考〉の癖に過ぎませんから)、そ
れ以上に、「落とす」ことにあります。
心の中に「落とす」から、波立つのです。
“出来事” がもたらす “精神的なインパクト” がどんなもの
であるにせよ、それを心の中に落とさない。
出来るだけ「そっ」と、心の中に修める。波立たぬ様
に・・・。
日々、出会う “出来事” を、静かに、「そっ」と、心の中
に「修めて、行く」。
“出来事” に揺さぶられない様に、生きて行く。
それが〈修行〉でしょう。
A 「あなたは、ガンです」
「そんな・・・。なぜ、わたしが・・・」
それも生きてる姿です。
B 「あなたは、ガンです」
「そうですか。では、なるべくわたしの病状に合った
治療をしましょう」
それも生きてる姿です。
どちらも生きてる姿ですが、治療の結果は同じです。
Aは、泣くだけ損ですし、もしかしたらストレスで治療効
果が損なわれるかも知れません。
わたしたちは、「“出来事” を静かに心に修めながら生き
て行く」方が良いでしょう。
で、私の〈修行〉のどこが足りないか?
錦鯉を羨んでしまってますからね。まだまだですね。
今から『錦鯉師匠』に会いに行って来ます。
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