2018年2月19日月曜日

常識のある方のために


 ふと気が付くと、前回の投稿がこのブログの 200回目だ

った。

 それで考えてみたんだけれど、このブログは仏教や老荘思

想なんかに興味のある人が観る分には問題ないと思う。けれ

ど、そういう事に興味の無い、当たり前に世の中を生きてい

る人がたまたま観た場合、かなりショックを受けて、それな

りに安定してる人生を台無しにしてしまいかねない。

 それは「要らぬお世話」でしかないかも知れないと、改め

て考えた。
 

 そのあたりのことは、スタートして間もない『正しいとは

どういうことか?』という回で触れてはいるのだけれど、ほ

んとに何も知らずに、たまたまこのブログを目にしてしまっ

た人には、「大迷惑かもしれないなぁ」と、少し反省をして

みた・・・。



 で、反省をしてみた結果、《「正しい」とは、「そういう

ことにしておけば気が済む」ということ》などといった、非

常識な言葉にビックリしてしまったような人は、せっかくの

機会なので、「『良いご縁だ!』と、前向きに考えて貰いた

い」という結論になりました。



 このブログの中で、常識がムチャクチャになったところ

で、実際の世の中は何も変わらない。

 けれど、このブログで為される「常識の毒抜き」や「慣習

の組み替え」といったことを、ツールとして実際の世の中に

上手く適用出来ると、〈世の中に適応しながら世の中の餌食

にならない〉といった事が、実現できるかも知れません。

(それを《世の中は、たしなむ程度に・・》というんですけ

ど)・・かも知れませんけど、“社会不適合者” になってし

まう可能性も大きいとは思います・・・。

 でも、それは仕方がない。すべては〈運〉です。すべては

〈ご縁〉です。たまたま出くわしてしまった事を、「運がイ

イの悪いの」と言っても仕方がないことです。やはり、前向

きに捉えましょう!

 《世の中なんか、たしなむ程度にしておきなさい》なん

て、気の利いた言葉だと思いませんか? 自分で言うのもな

んだけど、こんなこと言ってくれる人なかなかいませんよ。



 何の疑いも持たぬまま、世の中の常識を骨の髄まで染み込

まされて、それなりに上手く生きて来たはずなのに、

 「なにやら自分の人生はどんよりとしている・・」

 「中年になってからだを壊してしまった・・・」

 「上手くやってきたはずなのに心を病んでしまった・・」

 そういうのって、そこら中に転がってる話・・・。


 世の中は、個人の為にあるんじゃない。

 個人は、世の中に奉仕する為にある。

 個人は “世の中のパーツ” に過ぎない。

 世の中にとって、人のしあわせなどどうでもいいことで

す。

 まともに「“世の中” をする」と、わたしたちの〈生〉は

死にます。

 やはり、「世の中の常識」は、いちど壊すべきです  

人の中で。

 「世の中の常識」は、常に怪しむべきです。

 「世の中の常識」は、ある種の冗談だと受け止めるべきで

す。

 世の中は、あなたや私をしあわせにはしません。

 自分をしあわせに出来るのは、自分だけです。


 世の中に期待もせず、世の中を非難もせず、世の中とは

「仕方ないから付き合ってあげるけどね・・・」といった関

係がいいんじゃないかと思いますね。

 このブログは、その為の役に立つだろうと、自分では思っ

ているのですが・・・。

(そう思ってなきゃ、こんなこと書けないわなぁ。たとえ

「バカ丸出し」だったとしても、それはそれでいいとしよ

う。)







0 件のコメント:

コメントを投稿