2018年2月2日金曜日

八百万の神の国


 ちょっと前に〈自信教〉という話を書きました。(『教祖

になってみませんか』2018/1 )


 「自分を〈神〉として、ひとりひとりが自分を信仰すれば

いい」というムチャな話ですが、今回はその続きです。


 日本には、八百万の神がいます。

 あらゆる物に神が宿っている。そういう国ですね。

 『千と千尋の神隠し』では、〈湯婆婆〉の湯屋に神々が穢

れを落としに、ゾロゾロとやって来る。



 今日出かけた先で、自分も、まわりを行き交う人も〈神〉

だとしてしてみました。(思考実験のようなものですね)

 どの人もどの人も、「それぞれの姿」・「それぞれの働

き」の〈神〉である。「絶対の存在である」と。

 そのとたんに、『千と千尋の神隠し』のワンシーンと、現

実が重なりました。「ゾロゾロと、〈神〉が行き交ってい

る」・・・。


 実際にね。ひとりひとり、「絶対の存在」ですよ。 

 人間がする評価が無ければ、すべての存在は〈絶対〉じゃ

ないですか。


 のそのそと前を行くおじいさん。

 笑いながら走り抜けて行く小学生たち。

 スマホに集中して、ぶつかって来そうな女子大生。

 ベラベラとしゃべりながら、傍若無人に歩くオバサン達。

 暗い顔で、うつむきながら足を進める若い男。

 ベビーカーを押しながら、何処かへ急ぐ母親。


 さまざまな人間が行き交う・・、そのひとりひとりは〈絶

対〉の存在です。

 世の中の「評価」や「位置付け」以前に、それぞれがそれ

ぞれとして “在る” ことは、まぎれもない事実です。


 わたしたちは世の中の都合で、他人も自分も評価する。

 人を、あるカテゴリーや社会的地位に位置づける。

 区別して分類したり、一括りにまとめたり・・。

 でもそれは、世の中の都合です。

 それぞれの〈エゴ〉の身勝手です。

 すべての人が、「それぞれ」で、「絶対のその人」です。

それは妄想でも、盲信でもない。虚心坦懐に世界を眺めてみ

れば、自明のことです。エゴイストには理解できない  

たくない  ことですが。


 「お互いを尊重しょう」などと言いたい訳ではなくて、

「本来は評価出来ない。評価してはいけない。評価する事が

愚かだ」ということです。


 こんなことを言ったところで、世渡りの役には立ちませ

ん。世の中は評価の世界です。

 逆に、こんなことを言っていると、「負け犬の遠吠え」と

嗤われかねません。

 でもね、「勝ち犬」になっても、ひと時のことです。

 すぐに、リーダー争いに巻き込まれて、傷付き、衰え、群

れを追われる定めです。そして、最後には自分が嗤った「負

け犬」と変わらぬ〈死〉が待っています。


 そもそも、序列を争いながら群れの中で生きることが、人

にとって妥当な事かどうかも分からないのです。むしろ、歴

史を振り返れば、愚かなやり方だと観るべきでしょう。


 わたしたちが生きて行く上で、まず、それぞれが、それぞ

れの「絶対性」の上に安らぎ、そこから世の中に関わって、

足りないことを補い合い、協調してゆく・・・。たぶん、石

器時代はそれに近い世の中だったろうと思います。

 石器時代の人々に出来て、現代人に出来ないわけはないだ

ろうと思いますが、今の社会を見廻すと・・・。ムリでしょ

うねぇ。

 やはり、個人々々で自分の「絶対性」に安らぐしかないで

しょう。


 こう言うと、まるで『 “引きこもり” の薦め』みたいです

が、そうではなくて、「世の中の評価なんて、わたしの『絶

対性』になんの影響も無い」という、《絶対の自信》と共に

生きて行くということです。

 もちろん、個人の《絶対の自信》なんて、世の中は評価し

てくれませんから、世渡りには役に立たないかも知れませ

ん。けれど、その《絶対の自信》は、人にゆとりと威厳を与

えるでしょうから、世渡りの力にもなるように思います。

 そして、たとえ “世の中” で挫折しても、自分の中での挫

折は有り得なくなります。“世の中” に傷付けられることは

無くなります。

 《 “世の中” 以前に、わたしは “在る” 》

 そう気付いた人間を、傷付けられる者はいません。

 たとえ殺されても、その「絶対性」を壊すことは出来ませ

ん。
 

 磔となったキリストも、毒を飲まされたソクラテスも、自

身の「絶対性」を壊せないことを知っていた。

 それは、キリストやソクラテスが特別だったのではない。

 《この者たちは、自分が何をしているのか分からないので

す》と、キリストが言ったのは、「誰もが絶対の存在なのに

愚かなことを・・・」という憐れみゆえでしょう。

 キリストやソクラテスだけではなく、あなたも私も〈絶

対〉です。ですから〈自信教〉です。(〈自神教〉かな)


 他人と較べるバカバカしさ、自分と “自分” を較べるバカ

バカしさ、他人や自分を裁くバカバカしさ・・・。

 世の中は、愚かで、幼稚です。


 ひとりひとりが、「絶対の存在」=〈神〉です。

 この国は、『八百万の神の国』です。

 自分が〈神〉であることを知って、《絶対の安らぎ》に身

を置いて下さい。

 お互いが〈神〉であることを知って、本質的な「肯定」に

安らいで下さい。
 


 ・・・・・なんてね!

 こういうの、どう思います?

 やっぱり、キモイ? (笑)



0 件のコメント:

コメントを投稿