2017年2月21日火曜日

世界は惰性で動いている

 

 《 世界は惰性で動いている 》



 明日の予定は何ですか?

 仕事? 遊び? 勉強? 結婚式? お葬式? 

 それとも、何の予定も無いですか?

 仮にハワイへ旅行に行くとして、その予定はいつ立てたもので

しょう? 一か月前にしておきましょうか。 では、あなたは一か

月前にハワイへ行くことに決めました。でも、決めたのは本当に

あなたでしょうか?

 なぜ、ハワイなんでしょう? なぜ、明日なんでしょう? なぜ、

行く気になったのでしょう? 誰と行くのか、ひとりなのか? 友

達と行くとして、なぜ、その友達なのでしょう? 

 なぜ、明日ハワイへ行くことになったのか、すべての理由を説

明できるでしょうか・・・?

 実はわたしたちが日々やっている事にハッキリとした理由はあ

りません。 ありますか?

 わたしは、「コーヒーを飲みたいなぁ」と思って、さっきコーヒー

を淹れて飲んでいますが、コーヒーを飲みたい理由は『コーヒー

を飲みたいと思ったから』ということです。でも、「コーヒーを飲み

たい」と思った理由は何でしょう? コーヒーが好きだから? で

は、なぜコーヒーが好きなんでしょう? なぜ、今なんでしょう?

 何の話を始めたかというと、「意思」(「意志」も含めた意味で)

の話なんですが、「意思」というのは自分のものでは無いという

ことなんです。

 サラッと書いちゃいましたが、「意思は自分のものでは無い」

なんていうのは、とんでもない事ですよね。「意思」が自分のもの

でなければ、いったい何が自分なんだ! というぐらいの大事

です。

 わたしたちは、瞬間々々、さまざまな選択をしながら生きてい

ます。その都度、自分が選択しているし、自分が決めているとい

う実感しかありませんが、実は自分が決めているつもりでいるだ

けだと、私は考えています。(こう考えること自体も、私が考えつ

いたわけではないということになりますね)


 わたしたちの意思は、自分も含めた、この世界のすべての出

来事の関わり合い、せめぎ合いの中に生まれる副産物だという

ことです。例えば、真冬になると北海道に流氷がやってきますが

あの流氷のひとつひとつが、さまざまな出来事だとします。流氷

というのは、岸に押し寄せると、それぞれがぶつかり合って、「ミ

シミシ」とか「キューキュー」とか音を立てるそうですが、わたした

ちの「意思」は、そのキシミの音のようなものです。

 自分と、周りの出来事がぶつかり合ってキシむ音が、わたした

ちの「意思」というわけです。

 それは止めようとしても止められないし、どんな音を出すかも

決められません。

 北へ押されたかと思った次の瞬間、こんどは西への圧力が来

ます。そして自分自身も西隣へ圧力を掛けることになりますが、

自分で西へ動いたつもりになったりします。

 わたしたちの世界は、全てが無限に、複雑に関係し合って動き

続けています。わたしたちの住んでいる銀河系でさえ、宇宙の

ほんの小さな一点にすぎず、宇宙の中を流されています。その

中で、わたしたちに自律的な「意思」など存在しうる訳がないの

です。


 138億年前にビッグバンが起きて、わたしたちの宇宙(世界)が

始まったというのが、現在の主流の考え方だと思いますが、物

理的には “ある系の運動は、外の系から力が加わらない限り、

同じ方向に動き続ける” わけですから、わたしたちの宇宙はビ

ッグバン以後、素粒子の一粒に至るまで、惰性で動いていると

考えていいでしょう。 ( 誰かがコントロールしているわけでは

ないでしょうし、もしコントロールしている者がいるなら、それこそ

「すべては神の意志」になってしまいます。別にそれでもかまい

ませんが )

 わたしたちの身体も、たまたま素粒子が集まって、一時こんな

形に出来ているのですから、わたしたちの「意思」も、それによる

「行動」も惰性なのです。

 人の世では、良いとか悪いとか偉いとか汚いとか、いろいろな

人が居ますが、皆それぞれ惰性で動いてるだけですから、そう

在るしかないんですね。

 この頃、トランプ大統領が就任して世間はなんだかんだ騒いで

いますが、彼自身も、何であんなことしているのか本当はわから

ないんですよ。自分がやってるつもりなだけです。

 わたしたち、みんなそうなんです。


 

 


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