2017年7月2日日曜日

思い上がっちゃ、いけないよ

 「思い上がっちゃ、いけないよ」。


 なんか、寅さんが言いそうなセリフですね。


 「見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし」。

 今なら、都心の高層ビルを見上げて言うかも知れません。

 「見上げたもんだよ、ビル屋の強欲。思い上がっちゃ、い

けないよ」(「強欲」じゃなぁ。なにかイイ言葉ないかな

ぁ)。


 寅さんはともかく、私は高層ビルなんかを見ると「思い上

がってるな」と思います。と同時に「病気だな。必死だな」

とも思います。べつに、あんな物にほとんど必要性は無い。

金をまわす為に、無理やり建てるわけでしょう。

 出来るだけ大きなビルを建てると、それにからんで多くの

金がまわる。

 多くの金がまわると、上前をハネる分も増えて、儲かる。

 「病気」でしょ? 「必死」でしょ?

 まぁ、人が「病気」でも知ったこっちゃないけど、あれど

うすんのよ? いずれは壊さなきゃいけないでしょ? 

   百年後に、誰が壊してくれるの? ちゃんと壊せるの?

 その費用を誰が出すの? 事業者も建築会社も政治家もそ

んな話してくれたことないよ? ホントにどうすんの?


 そんなこと考えると「思い上がり」というより、「人で

なし」だと言いたくなるね。必要もない額の金を稼ぐ為に、

とんでもない粗大ゴミを後の世代に押し付けて死んで行く。

 犯罪行為ですよ。法律より経済の方が力が強いから、見過

ごされてるけど、ロクでもないことしてると思いますね。


 人間、「思い上がる」と身体を無視して、放って行きます

からね。ブラック企業の経営者や管理者が、従業員という   

"身体” を忘れて好き放題するように。(自身の身体も忘れ

てるでしょうけどね。自分で何をしてるのか分かっていな

い)


 思い上がると、命と切れてしまう。

 では、生きているのは、何だ? 




 「思い上がる」というのは、アタマが主導権を握るという

ことです。そして、身体から搾取し続ける。生命力を吸い取

り続ける。(マトリックスですね)

 個人でも、社会でも同じことで、人(命)は放ったらかし

にされ、「思い」だけが幅を利かせるけれど、放ったらかさ

れた人が死んでしまえば、「思い」も当然消える。「いった

い、何してんの?」。

 その上に、粗大ゴミまで残されちゃあ、たまったもんじゃ

ない。


 渋谷のスクランブル交差点とか、梅田の歩道橋の上なんか

に、30分おきにメッセージを掲げたらイイと思うよ。


 「ちょっと落ち着いたら?」 


 何を怖れて、何を欲しがって走り回ってるの?


 ほんと?

 それ、ほんと? 

 ほんとに要るの?

 ほんとに怖れるべきことなの?

 誰が言ったの?

 他人が言ったの?

 自分の中の他人が言ったの?

 自分が言ったの? ほんとに?
 

 人がしあわせに生きるだけの事に、こんなに、こんなに、

こんなに、エネルギーは要らないし、動き回る必要も無い。

 「思い違って、思い上がって、思い込んで」振り回されて

るだけだよ。


 渋谷の街の中でも、立ち止まって見てみれば、樹の葉が風

に揺れてるだろうし、見上げると青空を雲が流れて行くだろ

うし、それは千年前とあまり変わらない光景。

 ところが、その空を遮ってどこまでも埋め尽くすビル群。

 そんな手の込んだ(手の込み過ぎた)大道具がなければや

っていけないなんて、ほんとは情けないことなんじゃない?

 とんでもなく、バカなんじゃない?


 「ちょっと落ち着いたら?」

 「思い上がっちゃ、いけないよ」


 ほんとにね。

 本気でね。

 「しあわせって、いったい何だろうか?」って、深く考え

みればいい。

 ほとんどの人が、「しあわせって何か?」って、しみじみ

と考えてみた事がないんでしょうよ。

 二十代ぐらいで、“しあわせについて” 考えるべきなんだ

ろうけど、考えないように躾けられてるんだろうね。

 あるいは、“しあわせについて”、 上っ面の概念を刷り込

れてるんだろうね。 だから、深く考えてみたりしない。


 「しあわせになるのに、理由はいらない」と書いたのは、

随分前になるけれど、自分でしあわせについて考えてみなけ

れば、何も始まらない。

 ”「しあわせになるのに、理由はいらない」理由”も書いた

けれど、世の中が見せる “しあわせ” を、疑いながらも信じ

ようとする自分に嫌気がささなければ、何も変わらない。

 
 一度、「アタマ」を脇にどけて、頭を使ってみよう。

 どこかの、誰かに、刷り込まれた “良いこと” は、ほんと

に「良い」のか?

 他のどこかの、他の誰かが差し出す “良いこと” も、ほん

とに「良い」のか?

 自分にとって、ホントに、ほんとに、本当に「良いこと」

は? 

 自分自身の中の、“嘘のつけない自分に” 訊いてみる。

 ほんとうにしあわせなことって、“大袈裟” で “非凡” な事

ではないだろうと思うよ。


 しあわせに生きる事は、そんなに大層な事じゃない。

 というより、生きてること自体が、“しあわせ” と一体に

なってるんだと・・・。

 考えて、感じて、試してみて欲しいんですけどね。







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