2017年11月22日水曜日

「わたし」か・・。「わたし」ねぇ・・・・?


 わたしたちの身体は、常に変化している。

 分子生物学者の福岡伸一ハカセの著書「生物と無生物のあ

いだ」によると、単に新陳代謝によって細胞が新しくなり、

それに伴って物質が入れ替わるという事だけでなく、生きて

活動している細胞の中で、分子レベルで物質の置換が行われ

ているという。(ややこしいので、詳しくは触れません)

 一見すると、昨日の自分も今日の自分も特に変わっている

様には思えないが、大きく変わっている。それは、分子レベ

ルの話を持ち出すまでもなく、誰もが実感出来る事です。

 髪が伸びる、爪が伸びる、ニキビが出来る、日に焼ける、

さまざまな変化を日々経験する。

 生まれてから死ぬまで、休むことなく変化し続け、一時と

して同じ状態を保つことはない。それならば、わたしたちが

“わたし” だと思っているこの〈わたし〉は何か?

 一時として固定される事の無い存在を “わたし” などと呼

べるものだろうか?

 “わたし” というものは、「大体この様なもの・・」ぐら

いにしか言えないものだろう。


 実のところ、「〈わたし〉というものは、“わたし” を存

在させている〈空間〉の事ではないのか」なんて思ったりも

します。

 この身体でも、心でもなくて、それが形を持ち機能してい

るこの〈空間〉こそが、〈わたし〉なのかも知れない。

 わたしたちは、「いま、ここ」に “在る” のではなく、

「いま、ここ」という〈空間〉が〈わたし〉なのかも知れな

いと。



 川は、地形の溝の事であって、そこに流れている水の事で

はない。水が無くなると「川の水が枯れた」とは言うが、

「川が無くなった」とは言わない。

 では私が死んで、私の身体が「わたしという空間」から消

えたら、私は消えるか?

 〈わたし〉というものが〈空間〉を指すのだとすれば、私

の身体が消えても〈わたし〉は消えない。その存在は知覚出

来なくても、その〈空間〉は間違いなく存続し続けている。



 とは言うものの、身体が消えてしまえば、〈わたし〉とい

う〈空間〉など知覚できないのだから実質的には無いし、そ

の〈空間〉はすぐに他の存在で埋められてしまい、別の存在

の〈空間〉となってしまう。やはり身体が消えると「わたし

という空間」は「わたしだった空間」になってしまう。いわ

ばそれは「生まれ変わり」ということだろう。


 ・・・などと、ここまで書いて来て、自分が何を言おうと

しているのかが分からない。

 何かが頭の中で形作られようとしているのだけれど、まだ

形に成り切らない。「〈わたし〉というものは〈空間〉だ」

というイマジネーションが何処に向かおうとしているのか?

 「輪廻」についてなのか?

 「宇宙」という一つの命についてなのか?

 「わたし」というものは幻想なんだということなのか?あ

るいは、ある出来事でしかないということなのか?


 いくつかのイメージが浮かんでくるけれど、確信を持って

言えるのは、

 《 “わたし” とは、出来事に過ぎない 》

ということ。


 その、出来事に過ぎない事に人間は強い執着を持ち、それ

故に数限りない問題を生み出し、自ら苦悩の中に嵌まり込ん

で行く。


 そんな宿命から逃れようと、“わたし” (自分自身)に対

するこだわりを減らそうと試みる人達もいるけれど、周りの

人間(社会)がそれぞれの “わたし” でもって関わりを持と

うとして来るので、それに影響されて、自分の “わたし” が

固定化されてしまい、なかなか上手くいかない。わたしたち

は、社会によって “自分に対するこだわり” を持たされてし

まう、「世の中なんか、たしなむ程度にしたい」とは思うの

だけども・・・。徹底するのは難しい。

 でも、そう思わないよりはマシだろうとは思うね。




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