2022年10月16日日曜日

店じまい



 ふと、田淵義雄さんのことを思い出して「いま何歳だろう

か?」と検索してみたら、一昨年の一月に亡くなられてい

た。1944年生まれだから、享年75~76歳ということ

なんだろう。

 このブログを始めた年に『「バックパッキング教書」とい

う本のこと』(2017/12)という話を書いているけど、また

一人、私に影響を与えた方が去った。私が生きた時代が幕を

閉じようとしているのだなぁ。


 加山雄三は今年で人前で歌うことを辞めるということだ

し、吉田拓郎も今年で音楽活動を辞めるという。井上陽水

も、2011年の『魔力』を最後にオリジナルアルバムは作

っていないし、年齢的に、今後表立った活動は無いことだろ

う。

 加川良、河島英五、忌野清志郎、小坂忠、中野督夫(セン

チメンタル・シティ・ロマンス)・・・といった人たちはも

う故人だし、私を引き付けた作家や学者、役者や芸人の多く

も故人になり、現役の人たちも衰えは隠せない。もうすぐ表

舞台から降りるだろう。


 「時代なんだな」そう思う。こういう感じは歳をとらない

とわからないことだとは思うけれど、もしかするとこれまで

の時代やこの後の時代とは少し違うのかもしれない。それは

何故かというと、この半世紀ほどの間で、世界の文化・文明

のほとんどは〈誕生・拡大・爛熟・限界〉を一気に通りすぎ

ただろうから。そして、私たちの世代はそのただ中を生きて

来た。面白いものを見せてもらったなと思う。感謝感激雨あ

られ・・・。


 20世紀後半の文化が店じまいをしようとしているのだろ

う。そして数年後には、私は上映を終えた映画館の観客のよ

うに、白いスクリーンを前にしていることになるだろう。そ

の時、私は何も映らないスクリーンを見ながら、静かに笑え

る人でありたいと願う。


 ・・・と、そんなことを ルーシー・トーマス を聴きながら

書いている。

 彼女の歌声などを聴いていると、文化は “生まれ・作られ

るもの” から、“確かめ・味わうもの” になって行くように思

う。そしてその先は・・・、知る由も無い・・・。


 すべての人が、それぞれに、それぞれの文化の中で生きて

一生を終える。

 そこでどのような実りを得るかは、それぞれの縁次第とい

うことだけれど、その文化に導かれ、そして文化を越えた実

にまでたどり着くことができたら、それ以上の果報はない

だろう。


 店じまいは少し淋しいが、その味わいのひとかけらぐらい

は、このブログの中にもあるだろう。さしあたりはね





 

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