2024年4月13日土曜日

良く生きるとは



 せっかく生きてるんだから良く生きたいと思うのは、誰に

とっても当然のことだろうし、そうあるべきだろう。はっき

りとそう意識しているかしていないかにかかわらず、誰もが

良く生きようとしているだろう。ただ、人それぞれに何が

「良く生きること」かが違うようなので、誰もが「自分は良

く生きているのだろうか?」という心もとなさを持っている

ようだ。人というのは比べるのが習い性だから。


 「良く生きる」とはどういうことか?

 別に何も難しいことはない。要するに「満足して生きる」

というだけのことだろう。それだけの話なのだけど、人それ

ぞれに満足する条件が違うので、他人を見て「あれ?自分の

やってるのは間違いなのかな?」などと思ってしまって、何

やら難しく考えてしまったりする。しかし他人は他人、気に

する必要はない。自分が納得し、満足していれば、何の問題

もない。

 とはいうものの、自分なりにでも満足することはなかなか

難しい・・・、そう思う人が大半だろう。でもそれは「満足

すること」について勘違いをしているだけだ。


 「勘違いをしているだけ・・」と表現したけれど、この勘

違いがとんでもない大問題を生み出しているので、「・・だ

け・・」などと言っている場合でもない。天国と地獄の分か

れ目ぐらいの違いが有る。


 先に「満足して生きる」と書いたけれど、こういう表現を

見聞きすると、普通は「満足を求めて生きる」と考えて、満

足するために、精神的、身体的、社会的に何かをしようとし

る。満足の為に生きることになるだろう。けれども私が言い

たいことは違う。「満足して生きる」とは「満足してから、

生きる」ということ。

 まず満足してしまった上で、さまざまな「生きて行くこ

と」をこなして行くのです。


 「まず満足するなんて、どうやって?」

 そう思われるかもしれない。けれど何も難しくはないので

す。単に、満足すればいいのです。いますぐ。このままで。


 満足するのは誰なのか? もちろん自分です。

 自分を満足させるのは誰なのか? それももちろん自分で

す。

 満足するのは自分の仕事。自分の裁量です。自分の自由に

できることです。けれど、誰もがそれを認識していない。満

足は、誰かや何かとの関りの中で得るものだと思っている。

それが大変な勘違いです。

 いま生きている・・・ならば満足できるはずなのです。


 生まれてくるときに、用事も目的も与えられていないので

す。単に生きてゆく為に生まれてくるわけです。ならば生き

ている時点で満足でいられるはずなのです。

 ところが生まれてすぐから、世の中から、比べる習性と目

的意識を刷り込まれてしまうので、生きていることを達成し

ている自分に目が向かなくなってしまう。


 世の中に教えられたような条件を気にすることなく、満足

してしまえば良いわけです。まず満足してしまえば、生きる

ことは余興のようなものです。

 満足した上でのことなら、いわゆる、良いことが起きたら

「おお!ラッキー😆」。悪いことがあっても、「ああ、こう

いうのもあるわけね😅」という感じで受け止められる。


 「満足」という😊 状態が基本なので、出来事によってはそ

こにちょっとした「快・不快」の揺らぎがあるだけ。

 そのようにして、日々を受け止めて行くなら、それこそが

「良く生きる」ということ。「機嫌良く生きるということ」

でしょう。




 

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