2018年7月10日火曜日

「それだけのこと」の奇跡


 夕方。家の前でアブラゼミが鳴いていた。

 ・・・それだけのことですが・・・。

 夏が来た。大阪湾の向こうに入道雲が湧き立っている。

 ・・・それだけのことですが・・・。


 それだけのこと。なにもかも、「それだけのこと」。

 「それ、だけ」。


 「それだけ」というと、〈取るに足りない〉ことですが、

「それ、だけ」とは、〈唯一無二〉という意味もある。

 どんなに取るに足りないような事でも、それは唯一無二の

事。


 一匹のアブラゼミが鳴く。唯一無二。

 ひとつの入道雲が湧く。空前絶後。

 電線で一羽のスズメが鳴く。それは、もう二度と無い。


 わたしたちは、もう二度と訪れない、もう二度と出会わな

い出来事に出会い続けて生きているけれど、そのほとんどを

「それだけのこと」と思い、取るに足りない見飽きた事とと

して見過ごして行く・・・。


 今日の自分は、昨日と違う “もう二度と無い自分” 。

 今の自分は、さっきとは違う “もう二度と無い自分” 。

 その自分を、“いつもと変わらぬ取るに足りない自分” だ

と思っている・・・。


 「それだけのこと」の、“唯一無二” 性に想いを致せば、

「それだけのこと」がとても愛しいものになってくる。だっ

て「それ、だけ」なんだから。

 なにもかも「特別」なんだから。

 なにもかも「絶対」なんだから。

 すべてが “それ” として「完全」なんだ。


 一枚のティッシュペーパーが、ここに在る・・・。

 それは、もう二度と無い・・・。実は、恐るべきことなん

です。

 ましてや、あなたが今そこにいる・・・。

 言葉を失うほど、感動に震えてもいい事です。

 それが、「良い」か「悪い」かじゃない。

 どんな評価とも関係なく、すべてはそこに在る。あなたは

そこにいる。


 「そこに在る」

 「ここに在る」


 その絶対性に想いを致す・・・。

 それは人間の価値判断など、一切ちからを及ぼせない事で

あるのを知る・・・。


 普段わたしたちは、何かを「評価する」ことが、何かを

「取るに足りない事」とみなすことでもあると意識していな

い。

 あるものを「良い」とみなした時、その数十倍、数千倍の

ものを「取るに足りない」と捨て去っている。

 それはわたしたちの〈業〉として、仕方がないことではあ

るけれど、そのことがわたしたちを幸福から遠ざけている。


 毎日々々、無数の「それだけのこと」に出会うわたした

ち。

 いつ、どんな瞬間でも、「それだけ」が「それ、だけ」で

あることを想えば、生きてる事は、無限に続く奇跡の連続

だ。

 わたしたちは奇跡に取り巻かれて生きている。


 目の前で、アジアンタムの葉が風に揺れている。


 「世界は、やっぱり美しいんだ・・・」


 私がここにいる・・・。

 あなたがそこにいる・・・。

 奇跡なんだね・・・。

 ・・なんだけどね・・・。





0 件のコメント:

コメントを投稿