2020年10月18日日曜日

予言しちゃおう

 

 今日はチェット・ベイカーを聴きながらこれを書き始め

た。聴いているのは1965年の『Baby Breeze』というア

ルバムのCD。こういう50年以上も前の音楽が、CDとな

って売られていたり、ネットで聴けたりする。

 レコードの発明以来、いったいどれだけの曲が作られて世

に出たのか?アイデアは絞り出せるだけ絞り出され、取り込

めるものは限界まで取り込んで、1990年頃には、世界の

音楽に新しいものは生まれなくなった。

 その後も音楽は作られ続け、一応の発展は見せながらここ

まできたけれど、膨大な量の音楽(楽曲)の蓄積があり、も

うさすがに終わりが来ているんじゃないか?


 生活に密着した音楽や儀式のための音楽ではない、エンタ

ーテインメントととしての音楽は100年以上も成長を続けた

が、もう行き詰まってしまったというのが本当だろう。どん

なことでも、成長・発展の限界がある。必ず行き詰まる時が

来る。音楽の創造は行き詰まったのだ。すべての音楽がクラ

ッシックになったと考えていい。これから先は、表現者の個

性を楽しむというかたちの音楽しか提供されないだろう。


 人というものは、もう数千年も常に新しい文化を生みだし

続けて来た、けれど、ここへ来て、音楽に起きているような

事が文化のあらゆる面に起きている。芸術にもスポーツにも

映画や演劇にもゲームにも。

 変化のスピードが急激に圧縮され、すべてが行き詰まって

いる。人のこれまでの文化の形が終わろうとしているとしか

私には思えない。

 文化が飽和し、世界のいたるところで、文化に対する倦怠

と脱力感がピークに達し、大きな揺れ戻しのような現象が起

こるのは近いだろう。おそらく5年以内には、その兆しが顕著

になるだろうと私は思う。予言だね。


 ではいったい何が起こるのか?

 まぁ、分かんないんだけど、揺れ戻しだろうから、あらゆ

ることがシンプルでミニマルな方へ向かうんじゃないかなと

いう気がする。ただし、それは私の希望がかなり入った予想

だね。

 経済の上にのったものや、テクノロジーに支えられたもの

ではなく、個人や小さな集団の素朴なクリエイティビティの

発露としての “遊び” に戻って行くのではないか?


 私の子供時代。昭和の中頃は、舗装された道にはロウ石

(何かわからなかったら調べてね)やチョークで絵を描き。

土の地面には棒切れやアイスキャンデーの棒で絵を描いた。

そこには、古代の人々が洞窟の岩壁に簡単な絵を描いたり手

形を残したことと、大きな隔たりは無い。自然で素直な、人

の「創造する喜び」の表れだ。

 自分の身の丈の、何かの手段の為の表現行為ではない、シ

ンプルな “遊び” に近付こうとする人が増えてくるのだろう。

やはり、私の希望に過ぎないかもしれないけどね。


 いずれにせよ、この文化は、もうどん詰まりだよ。


 と、ここで気が付いたが、聴いていたチェットベイカーの

アルバムは『Baby Breeze』だった。「赤ちゃんのそよ

風」。

 素直に、自然に、単純に喜びを求める方がしあわせだろう

よ。赤ちゃんのようにね。




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