2021年3月20日土曜日

「ゼロ・デス(Zero Death)社会」に向けて・・・



 2月の始めに植えたササユリの芽が出た。ホッと一安心。

さて、これが順調に育って花が咲いてくれるのか? 慎重に扱

おうと思っている。家の横のヤマザクラも今日花を開いて、

「ああ、春だな」。


 この国は、毎年、桜の開花が話題になる国だけど、もしも

何かの異変が起きて、日本中の桜が花を咲かせなかったら、

どんなに気温が上がり、他の花が咲いたりしても、日本人は

「春が来た」 とは思えないのではないだろうか? それぐら

い、桜は日本人にとって特別な花ではあるだろうが、外国人

が日本に来て桜を見ても感動するのだから、桜自体の魅力は

文化の違いや人種を越えたものだろう。それに加えて、日本

独特の文化的な背景があって、桜を特別な花にしているのだ

ろうな。
 

 今年もまだ、「花見は自粛を・・」などと言って、酒宴な

どしないように呼びかけているが、いったいいつまで続ける

気なのだろう? ウイルスが消滅することはないのだから、永

遠に自粛させる気だろうか?


 「クオリティ オブ ライフ」という言葉があるね。癌などで

無暗に根治を目指したりして身体的不具合や苦痛をもたらす

より、生活の質を落とさないよう緩和治療を行いながら病気

と付き合ってゆく考え方だけど、社会自体もそういう考えで

やって行く方がまともだと思うのだが、「ゼロ・コロナ」な

んてことまで言うバカな政治家までいる始末で、ため息が出

る。

 現代人の多く、特にマスコミやリベラルの連中のアタマの

中は「ゼロ・ウイルス」「ゼロ・シック」「ゼロ・デス」な

んだろうな。

 「不安、あるいは問題を一切無くしてから人生を生きるこ

とが正しい」とでも思っているのだろう。それじゃぁ永遠に

生きられないまま墓に入ることになるだろうね。おっと、

「ゼロ・デス」だから、彼らが墓に入ることは無いの

か・・・。ということは、彼らは生きることが無いまま、永

遠に “生きる” のだな。


 二三日前に、最近の世の中のことを考えていて、映画『マ

トリックス』のことに思いが及んだ。「あの映画では人間が

機械に支配されてしまっているわけだけど、あれは人が望ん

だ結果として自ら機械に管理されているんだな」と思った。

物理的・身体的な事はすべて機械に管理させて問題を無く

し、自分は面白い夢を見ているだけ・・・。それは、現代人

の考えが行き着く先に、当然の事として待っている結果だな

と。ようするに「アタマだけ有って、アタマが満足できれば

それでいいのだ」と。


 花見をしたって、スマホや一眼レフカメラで花の写真を撮

ったら、上手く撮れたかどうか確認してそれで納得している

というのが、近年の花見の光景。じっくりと自分の目で花を

見ている人などほとんど見かけはしない。視覚情報は、自分

の頭ではなくスマホのメモリーに入れたらそれで満足。必要

な時はスマホを開けばいい。自分の頭や身体は、スマホとい

う中枢に情報を取り込むための道具になってしまっていない

か? その内、自分の代わりに、スマホが感動してくれるよう

になるのだろうな。そして、スマホが感動しているのを確認

して、「ああ、これは感動すべきことなんだな」と満足す

る・・・。そうなれば、もはや “生きる屍” だけど・・・。


 生きられてる?


 「ゼロ・デス」を求める人間が行き着く先に、命の喜びは

ゼロです。


 私はこの春も、自分の目と耳と鼻と肌と舌とを使って楽し

もうと思う。あいにく明日は雨だけど、「春雨じゃ、濡れて

参ろう」というのも有りだしね。

 雨もまた良し。



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