2022年9月11日日曜日

日々新た



 今朝、NHKの『こころの時代』を見ていた。北陸の浄土真

宗の僧侶の方が出ていて、民藝と仏教などにまつわる話をさ

れていて面白かった。

 番組の中で、知人の陶芸家の作っている白磁と、昔の唐だ

か清だかの時代の白磁(私は陶芸には興味が無い)を田んぼ

のふちに並べて見ている場面があったのだが、それを見てい

「あっ、“古いもの” って無いんだ」と気が付いた。最近作

れた白磁も、昔の白磁も、いま、同様にそこにあるのだか

ら。


 昔の白磁は「古くからあるもの」ではある。けれど「古い

もの」ではない。いまそこに、そのような在り方で存在して

る。「今日、そのような在り方を具現化している」という

味で、「新しい」のだと思った。そして同時に、ありとあ

ゆる生きているものも物質も、いまそのような在り方で

「新しい」のだとも思った。


 年寄りは「古い人間」ではない。「古くからいる人間」

だ。

 私の住んでいる家は「古い家」ではなく、「古くから建っ

ている家」だ。

 「古いもの」は無い。

 すべてが、いま、ここに新しい。

 世界のすべてが、瑞々しいのだ。


 「過去」という物語に囚われなければ、何もかもすべては

瑞々しく目に映る。そこに見えているのは〈命〉だろう。

日々新たな、瞬間ごとに新たな、“「在る」こと” だろう。


 風景が一変した。



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