2023年11月12日日曜日

必然だから



 しばらくブログを書く取っ掛かりがなかった。どうも10

月ぐらいにそういう傾向がある。なぜだかは分からないけ

ど。

 そういう傾向があるということが見えてくるぐらいに、も

う長いことブログを続けて来たということでもあるけれど、

先日、このブログのアクセス数が5000回を越えた。単に

アクセスがあっただけで、その度にちゃんと読んでもらって

いるのかどうかは分からないけど、こんなインターネットの

辺境にあるブログに5000アクセスというのは、約七年と

いう期間とはいえ、けっこう奇跡なんじゃないだろうか?


 「口から出まかせを書いている」ということは、これまで

に何度もお断りをしているけれど、口先だけで書いているわ

けではないというあたりが、この奇跡を呼んでいるのかもし

れない。

 やはりこれまでにも書いたように、なんでこんなブログを

書いているのかは自分でも分からない。なりゆきでこうして

いるだけで、自分の意志でもないし、なんになるのかも知ら

ない。こうしているのが必然で、5000アクセスも必然

で、アクセスした人がどう思い、何らかの意識の変化がある

のかも知らないし、読んだ人に何がもたらされるかはその人

の必然で、それが良いか悪いかも分からない。必然に良いも

悪いも無い。


 今日は『ゴジラ -1.0 』を観て来た。久しぶりにとても面白

い映画を観たと思った。

 戦争という災厄。ゴジラという災厄。その必然に動かされ

てゆく登場人物たち。

 物語だから、そこには幸・不幸、良い悪いがあるけれど、

必然に良い悪いは無い。

 戦争で死ぬ必然・・。ゴジラに踏みつぶされる必然・・。

生き残る必然・・・。ゴジラに「良い悪い」という考えは無

い。ゴジラも自分(?)がなぜ破壊しているのかは知らな

い。それがゴジラの必然であるというだけ。

 人の目からすれば、忌むべきものと迎えいれるべきものが

あるけれど、必然に良い悪いは無い。起きてしまうことは肯

定するしかない。


 ここでいう「肯定する」というのは、「良いこととする」

という意味じゃない。ただ「受けて行く」というような意味

合いです。

 起きた事を否定しても意味が無い。イヤだと感じる事をポ

ジティブに捉えようとしても無理がある。評価しても、その

評価は自分の都合が反映されるだけなので、真実の「善悪」

でも「幸・不幸」でもない。

 『ゴジラ』の登場人物のように、ゴジラのように、わたし

たちも必然に動かされているというのが真実で、いまの必然

に動かされて次の必然を生きて行くのだから、評価すること

にとらわれずに、ただ必然のままに生きて行く・・・。「必

然のままに生きて行く」とは思えないとしても、それも必然

なのでしようがない。それはそれで生きて行く・・・。


 必然に対して、ただ「受けて行く」という想いを持てるの

なら、そう想えるという必然はとてもラッキーだ。奇跡だ。

その想いはアタマの語る評価をやり過ごす。物語を物語のま

まにしておいてくれる。自分の本当の命は物語の外に在ると

知らせてくれる。


 ゴジラに踏みつぶされそうになったけれど、私は無事に映

画館から出て来た。けれど、現実の物語が、本当に私を踏み

つぶす日が来るかもしれない。それが私の必然なら、起こる

べくして起こるのならしようがない。私はそれを「受け

る」。そういう態度が、本当に生きることのように思う。


 私はゴジラと戦ったり、戦争に巻き込まれたりもしていな

い。ただこんなブログを書きつつ、世の中の片隅で暮らして

いるだけなんだけど、それが私の必然。必然ならそれを「受

ける」。その態度は、私に安らぎをもたらしてくれる。

 必然に良い悪いは無い。幸・不幸も無い。

 ただ、必然を「受けて」、必然を「やり過ごす」ならば、

そこには安らぎがある。世界の本質は安らぎだから。

 ゴジラが暴れまくっても、宇宙を破壊することはできない

ように、現実のどんな物語も、わたしたちの命を壊すことは

できない。


 ・・・・こんな口から出まかせを語るブログを読んでいる

というあなたの必然は、「安らぎ」からのお招きかもしれな

い。なにせ、約七年で5000アクセスしかないインターネ

ットの辺境を訪れているという奇跡を、あなたは経験してい

るんですからね 😌



 

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