2023年11月18日土曜日

日本人が英語が苦手な理由



 日本人は、なぜ英語が苦手か?

 それは、虫の音が「声」に聞こえるから・・・。


 『チコちゃんに叱られる』みたいになったけど、最近、日

本人がなぜ英語が苦手なのか、なぜ虫の声に情緒を感じたり

するのか分かったように思ったので、その話です。


 日本人は中学・高校と英語をたっぷり学ぶのに、ほとんど

英語が話せないし読めない。

 それは日本の英語教育の問題もあるのだろう。「聞いて話

す」よりも、「読んで書く」ことに重点を置くところが問題

なのだろうと思う。なにせ教育・学習のことを「読み書きそ

ろばん」と言っていた国だ。「漢字かな混じり文」という世

界でも他にない言語を習得するには「読んで書く」ことはと

ても重要で、「聞いて話す」ことなんか、勝手に身に付くよ

うに思って来たのだろう。けれど、何十年も英語教育をして

きたにも関わらず、いまだに日本人は英語を「聞いて話す」

ことはできない。その理由が最近分かった気がした。それ

は、日本人が〈 オノマトペ 〉や〈 聞きなし 〉を多用するこ

とにあるだろうと。


 〈 オノマトペ 〉とは、雨が「ザーザー」とか、風が「ビ

ービュー」とかいうやつですね。

 〈 聞きなし 〉は、ホトトギスが「特許許可局」とか、ウグ

イスが「ほー法華経」とか鳴くやつです。

 〈 オノマトペ 〉はマンガなどには欠かせないもので、誰

でもお馴染みですが、〈 聞きなし 〉はあまり一般的でもない

なぁ。けど『タモリ倶楽部』の人気コーナーだった『空耳ア

ー』なんて〈 聞きなし 〉で遊ぶという企画だったから、日

人なら〈 聞きなし 〉してしまう癖みたいなものは持ってい

だろうと思う。

 で、〈 オノマトペ 〉と〈 聞きなし 〉が、なぜ「虫の声」

と「英語が苦手」につながるかという話ですが、日本人は

「漢字かな混じり文」を使っていて、漢字にはフリガナをふ

る。この〈 フリガナ 〉が問題なんですね。


 〈 フリガナ 〉というのは音を文字で表すためのものです

が、これは〈 オノマトペ 〉と密接に結びついているのでしょ

う。

 日本に漢字が入って来る以前から、日本人は雨が「ザーザ

ー」というように、音に音声を当てていたのだろうと思う。

そして漢字が入って来た時に、外国語である漢字を読みやす

くするために、もともとあった〈 オノマトペ 〉や〈 聞きな

し 〉の文化を利用して、漢字を簡略化して、音声記号として

の仮名を作り出したのでしょう。


 で、なぜ英語が苦手なのかという話ですけど、わたしたち

日本人は、音を聞くと無意識にその音に〈 カナ 〉を当ててし

まうようです。そして、聞こえている日本語ではない音

「文字化(日本語化)」してしまう。“dog” には「ドッグ」

と、“cat” には「キャット」と。それによってヒアリングが

狂ってしまう。

 そのままに音を認識できないので、英語が正しく聞き取れ

ない。正しく聞き取れていないので正しく発音できないし、

発音する時にも〈 カナ 〉をふった状態で発音してしまう。い

わゆる「カタカナ英語」が発生する。

 日本以外の国の人は、英語を音で聞いて、その音をそのま

ま取り込み、自分でもそのまま声にするのでしょう。けれ

ど、日本人の場合はその間に「カナをふる」という余計な作

業が入ってしまう。その労力は英語の習得に、かなり余計な

エネルギーを使わせることでしょう(英語だけに限ったこと

でもないでしょうが)。それが、日本人が英語を苦手にして

いる理由だろうと思われます。


 そして、虫の音を「虫の声」として聞くのはなぜかという

と、日本人はあらゆる音を言語化(文字化)してしまうよう

です。台所の冷蔵庫のモーターが「ブーン・・」といってい

たり・・・。

 さすがにモーターの音を「声」と聞くことはあまりないで

しょうが(「あまり」ですけどね)、虫の音などは、同じ生

き物ですから、やすやすと「言語化」してしまうのでしょ

う。なので、虫の音が「虫の声」になってしまう。


 日本人はあらゆる音を「声」として捉えてしまう。すべて

の物が「語る」のです。“八百万の神” や “つくも神” という

考えとも繋がる。

 たぶん縄文時代から、日本人は〈 オノマトペ 〉を使ってい

たでしょう。そして、この世界のすべてを「生きている」と

捉えていたことでしょう。“生き物” だけが「生きている」ん

じゃないと。


 なぜ日本人がそのような世界観を持ったのかは知る由もな

いけれど、いまだにそれが受け継がれているのは驚愕です

ね。


 パソコンのキーを叩くと「カチャカチャ」という。パソコ

ンも生きている。

 パソコンがなければ、このブログなんて書いていられな

い。

 ある意味、生きているパソコンと、生きている私が一緒に

なって、このブログが生まれて来る(他の要素ももちろんあ

るのだけど)。あらゆるものが関わり合うことで、あらゆる

出来事が生まれて来るのがこの世界。


 日本人は、世界のあらゆる「声」を聞くことができるよう

です。ありがたいことだと私は思う。

 その「声」を、アタマの横やり無しに受け取るならば、わ

たしたちは世界に対して、もっとマシな理解ができるのかも

しれません。

 ただ、世界の真の姿を理解するには、「声」も邪魔でしょ

うけどね。



0 件のコメント:

コメントを投稿