2024年5月4日土曜日

有ること難し



 「わたしたちは、わけもわからないままこうして生きてい

る。ありがたいことではないですか?」


 前回そんなことを書いて終わった。けれど、「生きてても

面白くないし、何もありがたくないよ・・・」という人も多

いでしょう。「ありがたい」という言葉を感謝の意味で捉え

れば、確かにそういうことも言えます。でも「ありがたい」

という言葉は、本来〈感謝〉を直接表す言葉ではない。


 「ありがとう」は「有り難う」。「ありがたい」は「有る

こと難(かた)し」。

 感謝の念が湧いてくるような事は、有ることが難しい事

あって、言い換えれば「滅多にない事」という意味。それが

好ましいことなら人は「ありがたい」と言う。

 けれども、「滅多にない」という基準が適応できる事な

ら、好ましくない事でも「有り難い」と受け取ることができ

るのでは?


 カミナリに撃たれて死にかけた・・・。あるいは死んだ。

 「これは滅多にない!有り難い!感謝🙏」。 そういうの

は、有り?


 そんなのナシですよね。けれど、有りにするのも面白いん

じゃないでしょうか? だって、それが起こってしまったのな

ら、拒絶したってしようがない。《 機嫌が悪い奴はバカ 》で

すからね。起きてしまったのなら、面白がってしまった方が

賢いでしょう。


 嫌な事や、嫌な奴に関わると文字通り「嫌になる」。そう

いうのが続けば「生きてたって面白くない」という気持ちに

もなる。「こうして生きていることが、ありがたい」なんて

思えない。けれども、自分がこうして生きていることは「有

り難い」どころか、宇宙で二度とない事です。あなたも私も

宇宙でこれっきり。ここだけ、今だけ(なんかのキャンペー

ンみたいだ)。「有り難い」を超えている、空前絶後です。

 その一方で、嫌な事や嫌な奴は「有りがち」です


 誰かに悪口を言われる。よくあることです。人はそればっ

かりやってるんだから。

 犯罪に遭う。災害に遭う。そうそう遭うわけでもないけ

ど、そういうことが世の中によく起こるのは誰でも知ってい

る。珍しいわけではない。

 そういう「有りがち」なことに次々出会いながら、空前絶

後の「自分」が生きている。「自分」の方にまなざしを向け

てみれば、その事はとてつもなく「有り難い」んじゃないで

すか?

 私なんかそれを考えると「これはホントに凄いぞ・・・」

と感嘆してしまうんですけどね。


 《 ここだけ 今だけの

       「自分」という空前絶後のキャンペーン 》


 あなたも、凄いことなんですよ🩷






0 件のコメント:

コメントを投稿