2018年9月2日日曜日

《世界からのプレゼント》


 私は随分昔から、ふと浮かんだ考えを書き留めています。

 「考え」といっても、ふと浮かんでくるのだから自分で考

えているのではない。私のあたまが勝手に考えて、意識に浮

かび上がらせてくるわけです。

 そういった考えの中で、「なるほど」とか「これはイケ

る」といったものを書き留める。

 いわば、“無意識からのプレゼント” といったようなもの

ですね。

 それらの考え(言葉)が、このブログの個々のテーマや、

話のベースになっていることが多いわけです。


 今朝も一つの言葉が浮かんだのですが、いつもとはちょっ

と違ったパターンで、目が覚める直前に見ていた夢の中で、

「おおっ!」という言葉を自分が口にしたのでした。

 それが面白かったので、今回のブログはその言葉に加え

て、今までに書き留めて来た言葉をいくつか並べてみようと

思います。すでに、ブログのテーマにしたものもあります

が、「その言葉だけ」というのは、また違った印象を持つも

のですからね。


 では、今朝の夢の中の言葉から始めましょう。



 命 出てこい!
 かかってこい!
 ・・死にたくないから・・・。


 “満場一致” の壁の外


 鼻歌を生きよう!


 負けなさい!
 徹底的に負けなさい!
 完全に負けなさい!
 地球の中心まで落ちて行きなさい!
 それ以上の安らぎの場はありません!


 この世には成功も失敗もありません
 私の成功も失敗も無いし
 誰かの成功も失敗も無い
 起るべき事が
 起るべくして起こるだけのことです
 善も悪も無いのです
 「ふう~ん・・・」と、
 眺めていればいいだけのことなのです


 昨日は前世だと思え。
 明日は来世だと思え。


 沈黙の中にだけしあわせがある
 沈黙とは
 世界の本質である〈静寂〉に意識を向けること


 行為する事で満足を得るのではない。
 満足は既にあるのだ。
 何かを行うのは、満足を得る為ではなく
 満足を分かち合う為である・・・はずである。
  (満足=しあわせ)


 わたしは、わたしの所有物ではない


 自分が、小さく、弱く、愚かなものに思える時
 静かに呟いてみる「それでもいいじゃないか・・」と。
 それが事実なら、それを生きるしかないのだから。
 その、小さく、弱く、愚かに思えるものが
 こうして生きているのだから。


 エゴは「否定する」。
 それと共にエゴは「求める」。
 エゴは「満足」を知らず、それ故「現状を否定する」。
 愛は「求めない」。
 愛は「肯定する」。
 愛は「許す」。
 愛は「満ち足りている」からだ。
 愛は「今に在る」からだ。
 もう、「充分」なのだ。
 よって、愛は「受け取らない」。
 受け取るべき何も無いから。


 白紙。
 その紙が自分。
 描かれたものが自分ではない。


 「役立たず」とは
 「役が立たない」
 「役がない」ということ。
 出番がないということなので、楽屋で昼寝してたらいい。


 なんということ!
 もう、みんな終わっている。
 すべてケリがついている。
 今の今まで気が付かなかった。
 用は済んだ。
 さて・・・、生に溺れていようか。
 (「生」だよ「性」に溺れるんじゃないよ。まあ、それで
   もいいけどね・・)


 「醜さ」は、限定する事によって、
 囲い込む事によって生まれる。


 生とは、「流れ」のことです。
 世界という状況の中の「流れ」のことです。


 すべては完全です。
 人が、比較する意識で見るから、何かが欠けてしまう。
 不完全なものを生み出しているのは、人の意識です。
 世界を不完全にしているのは、自分自身です。


 人は皆、一挙手一等足まで運命に支配されている。
 そして、だからこそ完全に自由だ。


 「自由」とは、したい様にできるということではない。
 「自由」とは、何も考えなくていいということ。
 したい事など何も無いということだ。


 わたしたちが何かをする時、
 そこには、何がしかの意思や欲求がある。
 「自由にしたいことができる」という時も、
 わたしたちの行いは、何か(の欲求)に囚われている。
 自由とは、囚われないことではないだろうか?


 まず自分がある。
 エゴイズムじゃないんだ。
 だって、実際に自分はここにいる。
 ここに自分のからだがある。
 それだけは譲れない。
 譲れないというより消すことができない。 
 死んだって、からだはまだ残っている。
 そしてそれは誰にとっても同じだ。
 それをそのままにしておけばいいのだが、
 わたしたちは、何かが足りないような気がして、
 すぐに他人の分まで取り込もうとする。
 そこからが、エゴイズムとなる。
 小心者の勘違いから、世の中の不幸が始まるんだ。


 小心者=実際より自分を小さく感じている者
     実際より自分を大きく見せようとする者


 意味を手放せば
 世界と自分と今が、そのままここにある


 とまあ、こんなことが今までにいくつもあたまに浮かんで

きたわけです。

 それを浮かばせた力というものは、「より良く生きた

い!」、という私の想いでしょうね。

 その想いが、〈無意識〉に働きかけて、〈無意識〉がそれ

に応えてくれるのでしょう。

 たぶんブログを書くこともそれと同じでしょう。

 〈無意識〉からのプレゼント。あるいは宿題かな。

 でも、「より良く生きたい」という想いは何処からくるの

でしょう?

 「より良く」とは何でしょう?

 「良く生きたい」という想いこそが、《世界からのプレゼ

ント》かもしれませんね。その想いを持たされることがね。


 もっとも、何が「良い」のか分からなければ、どうしよう

もありませんが・・・。




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