2019年4月7日日曜日

仲良く出来ないのでしょうか?



 気温がグングン上がって、我が家の花たちもみるみる成長

している。本当に植物はすごいなぁ。

 今年の神戸のソメイヨシノは他所に比べて開花が遅い。ま

だせいぜい六分咲きというところで、ヤマザクラの方が早く

咲いている。どういう具合なんだろうかと思うけれど、知る

由もない。


 日本人は何百年も前から桜を好んで来たけれど、江戸時代

にソメイヨシノが生まれてから今まで、公共の場所から個人

の庭まで全国のあらゆる所に植えられて、日本の歴史上、現

代は最も桜の多い時代だろうと思う。

 ソメイヨシノは確かに綺麗だが、オオシマザクラやオオヤ

マザクラなども綺麗なので、もっと植えられてもいいんじゃ

ないだろうかと思う。


 昨日も今日も、近所の公園にサクラを見に出かけた。

 たくさんの花見客が来ていたが、にぎやかでなごやかで平

和なものだ。いつも、あんなふうにくつろいで仲良くしてれ

ばいいのにと思うのだけど、仕事なんかになると、競争し合

って、比べ合って、牽制し合って、ギスギス、ギクシャクと

「どちらが正しい」とか「どちらが悪い」とか張り合

う・・・。そんな大層な事じゃないのになぁ。仲良くすりゃ

あ良いのになぁ・・・。


 ホント、仲良く出来ないんだろうか。

 「自分の方が正しい」

 「自分の方が優れている」

 「自分が損をする」

 などということが、いさかいの原因のほぼ全てだと思うけ

れど、そんなことが、いがみ合って苦しい思いをする理由だ

なんて馬鹿げていないだろうか?


 「損をする」というのが、食っていくのにも苦労するほど

の「損」ならば、それはいさかいになってもしようがない部

分もあるだろうが、それだって、そもそも仲が良ければそん

な「損」をさせられる状況も起らないんじゃないか? そう

いう状況が生まれるのも「自分の方が正しい」とか「自分の

方が優れている」という思いが、相手を否定する態度になる

からだろう。


 いったい「自分の方が正しい」だとか「自分の方が優れて

いる」ってことが、どれほど大事な事だというのか?

 正しかったらそれがどうだというのだ。

 優れていたらそれががどうだというのだ。


 「自分は正しい!」

 「うん。それで?」


 「自分は優れている!」

 「うん。だから?」


 正しかろうが優れていようが、それが他者を否定して自己

満足する為のものならば、そんなものこの世のゴミです。

 正しかろうが優れていようが、それで死後に天国なんかに

行けるわけでもない。人と人との間に(あるいは他の生き物

との間に)対立を作り出して、地獄を作っているだけなら、

この世のガンです。


 程度の差こそあれ、誰もが自分の正しさ・優位さを確保し

ようと必死ですが、そんなことより、人間は社会を必要とす

る生き物なんだから、仲良く出来る方が生き易いはずなんで

す。どう考えたって。

 人は「生き易さ」より、「正しさ」や「優位さ」を選ぶん

ですね。バカですね。そんなもの何にもならないのに。けれ

ど、社会はこぞって「正しさ」や「優位さ」を賞賛する。


 『手術は成功した。患者は死んだ』という、医者のジョー

クがありますが、それと似た様なものですね。大事なことは

どっちなの?


 アタマは悪さをする。

 それがこのブログのテーマですが、アタマは、「存在しな

い “自分の存在意義” 」を手に入れようと必死です。その為

に自分の「正しさ」「優位さ」に何よりもこだわります。そ

の為に自分が生きるのが苦しくなろうが、他者を苦しめよう

が平気です。時にはその為に自分の命を落とすことさえ厭わ

ない・・・。ホントにバカです。アタマは、悪いです。
 

 仲良く出来ないのでしょうか?

 人と、今の自分自身と・・・。


 あたたかい春風の中で、ひらひらと舞う花びらの下で、ニ

コニコと笑い合う事が出来ているのなら、他のどんな場所だ

ってそうすることは出来るはずだと思うんだけどね。

 「自分の方が正しい」

 「自分の方が優れている」

 そんなどうでもいいことを大事だと錯覚するのさえ止めら

れればね・・・。 出来るはずです・・・。




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