2020年11月19日木曜日

自分のトリセツ



 『息子のトリセツ』とう本が売れているそうだ。今朝テレ

ビで紹介してた。

 著者は、脳科学と人工知能の研究者をしている女性だそう

で、これまでにも『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』などの

著書があるという。

 内容は知らないが、どれも、脳科学や認知科学に基づいた

「性差」を踏まえた上で、息子や妻や夫に接すれば、その取

り扱いが楽になるということなのだろう。まあそうだろう

な。世の中には「性差」を無視したがる変な人たちもいるの

で困ったもんだが、そもそも男と女の身体は物理的に違いが

あるのだから、当然、ものの見方、感じ方が違って当たり前

だ。その当たり前を、「仕方がないこととして受け入れた方

がやり易いよ」と、この著者は言っているのだろう。読んで

ないけど。


 男と女のものの見方の一番大きい違いで、事あるごとに問

題を生みだすのが、「何を以て正しいとするか?」というこ

とだろう。


 男は「理屈が通っていれば正しい」とする。

 方や女は「自分が気に入れば正しい」とする。


 女も理屈に基づいて物事を「正しい・正しくない」と判断

するが、「理屈が正しいから、気に入る」のではなく「自分

が気に入る理屈は、正しい」というのが基本的なスタンスと

なる。女にとって「理屈」は “道具” でしかないので、「理

屈」がひっくり返ろうが大したことではない。「理屈」など

に自分の正当性の根拠などあたえてない。都合がよければ使

うという程度だ。女にとっての正当性の根拠は「自分の気に

入るかどうか」なのだ。

 一方、男はとにかく理屈っぽい。まず「理屈」なのだが、

男にとっての「理屈」は道具ではなく “足場” だ。自分の気に

入る「理屈」が支配する “場” に立って、男は自分の正当性を

保つ。なので、男の場合、その「理屈」がひっくり返ると、

自分自身もひっくり返ってしまう。「理屈」が通らないと、

身動きができなくなる。というわけで、理屈が通らないと男

は危機感を感じて怒り出す。その「理屈」の正しさは、自分

が「正しいと思っている」だけに過ぎないのだが・・・。


 男にしろ女にしろ、結局のところ自分が気に入ることを正

しいとするだけなのだが、その際に「理屈」が果たす役割が

かなり違う。

 男と女が揉める時、男の方はしっかりと理屈を展開すれば

その “場” を支配したつもりでいるが、女の方からすれば、目

の前に目障りなものがチョロチョロしているに過ぎない。な

ので、女は男の理屈をうっちゃってしまう。伝家の宝刀「理

屈」をないがしろにされた男は足場がぐらつき、パニックを

起こして物理的な対処法に訴えたりする。暴力とかね。


 というわけで、世界中どこにいっても、夫が妻の尻に敷か

れている理由が分かる。

 理屈を無視された男は、暴力に訴えるぐらいしか手段を見

いだせないのだが、それは罪を犯すことになるので、まとも

な男なら、渋々黙り込むしかない。「女房は怖い」と。

 その結果、世界のどこへ行っても、夫というものは十中八

九、女房の尻に敷かれているか、DV男なのだ。恐怖にかられ

た男たちが、宗教的な理由をでっち上げて、女の力を削いで

いたりもするけどね。


 『妻のトリセツ』という本がどういう内容なのかは知らな

いが、その秘訣は一つしかない。「妻に勝とうとしないこ

と」。

 『夫のトリセツ』という本がどういう内容なのかは知らな

いが、その秘訣は一つしかない。「夫を負かさないこと」。

 いずれにせよ、「勝つ」ということを保留するに限る。


 そもそも、望んで一緒になるんでしょ?大抵は?

 何で相手に勝とうとする?

 「一緒にいる」のなら、“仲良くする” のが当たり前でしょ

う。

 結婚であれ、他の人間関係であれ、人と人とが「一緒にい

よう」とするのは、「仲良くできそうだから」だけではだめ

でしょう。“仲良くする” ためでなきゃいけないと思うんだ

が・・・。


 “仲良くする” のなら、「自分の都合は一まず置いとい

て・・・」というのが筋の通った話だと思うんだけどね。

 自己主張して我を通したいのなら、特定の誰か相手ではな

く、不特定多数を相手にすべきだね。それだけの度量なり暴

力性なりを持たない人は、身近な人と “仲良くする” ことを考

えるべきでしょうよ。
 

 男と女は違う。それ以前に人と人とは皆違う。

 違う者同士が自分の都合なり、正しさなりを出し合えば揉

めるのが必然。当たり前過ぎる話だ。だったら「自分の都合

は一まず置いといて・・・」というのは当然だ。どうせ何の

根拠もないそれぞれの陳腐な都合なんだから、そんなのに拘

るのが幼稚なんだ。くだらない。


 人と人とが一緒にいるのなら、“仲良くする” にしくはな

い。仲良くしないのなら一緒にいるべきではない。

 息子や妻や夫の「トリセツ」は役には立つだろう。けれ

ど、そんな小細工に腐心する以前に、仲良くすることを第一

義にすればそれでいいのだ。要するに「あなたの都合を優先

しましょう」という態度でいればいいだけの話なんだ。

 「あなたの都合を優先しましょう」を続けていると、相手

の方も「あなたの都合を優先しましょう」という風になるも

のです。そうして「仲良さ」が深まって行く。相手がサイコ

パスとかじゃなければね。


 本当に必要なのは『自分のトリセツ』でしょうよ。


 『息子(妻・夫)のトリセツ』を読んで、それを実践する

のなら、自分の見方・行動を変えることになるのだから、自

分自身の扱いを変えることになる。それは結局、『自分のト

リセツ』ということでしょう? どうせなら、相手を自分の望

む方向へ誘導しようというのではなくて、自分を相手の望む

方向へ誘導して行こうという方が上品だと思う。


 「それじゃあ自分が無くなってしまう」


 いいじゃないですか。「自分」は、無い方がしあわせなん

だから。


 このブログは、結構『自分のトリセツ』になってると思う

けどね。

 



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