2020年11月27日金曜日

新しい革命



 前々回、自然が人工環境に慣れて、人工環境さえその懐に

取り込み始めたのではないかというような事を書いたけれ

ど、自然が街の中に浸潤してきたように、「出しゃばり過ぎ

たアタマ(思考)を身体(感覚)が押し戻す」というような

ことが、密かに起こり始めているのかもしれないなどと思

う。


 鬱病だとかパニック障害だとか、引きこもりやニート、さ

まざまな依存症なんかが増えていること。すくなくともそう

いったことが広く取り沙汰されるようになっていることは、

極限まできつくなってきたアタマの支配に、感覚(身体)が

耐えきれなくなって来たことを物語っているように思う。

 もう限界なんだろう。アタマの暴走に対応できない人間が

どんどん増えてきて、社会はそれを無視できなくなってきて

いるのではないだろうか。

 前に『見えないデモ』(2019/9)という話を書いたこと

があるけど、先に挙げた問題はアタマの暴走に対する無意識

の抗議、反抗なのだろう。セルフネグレクトなんかもそうな

んだろうなと思う。


 人類の歴史の中で、多くの革命が起きて来たけど、新しい

革命が起きようとしているのかもしれない。

 これまで、革命に参加した者たちは、既成の社会に対して

反旗をひるがえし、立ち上がり、立ちふさがり、対抗し、闘

い、新しい社会を作った(その社会も、結局新たな問題をう

みだすのだけど)。けれど、この度の革命はそれとは違うの

ではないか。これまでは、社会の中に改革者の考えを具体化

する余地があった。けれど、この社会にはもうその余地が無

さそうだ。

 人が社会に付け加えうる、新しく、具体的なアイデアはも

う出尽くし、極限まで管理された世界には、既成の社会を受

け入れられない人間が立つスペースが残されてはいない。そ

して自然な成り行きとして、社会からはみ出した人間は、は

み出したままで生きようとするしかない・・・。

 ところが、その結果、まったく意図していないにも関わら

ず、はみ出した人間たちは無意識に革命を起こしているのか

もしれない。新しい革命のスタイルは “社会に参加しない

(できない)” 、 “社会に関わらない(関われない)” というこ

と。


 新しい革命家たちは、反旗などひるがえさない。立ち上が

らない。立ちふさがりなどしない。対抗しない。闘わない。

新しい社会を作ろうとはしない。 ただただ、社会に対して無

言で、無意識で、「NO」と言う。「NO」と言わざるを得

ないので・・・。


 そんな消極的で無気力とも見えるような人間たちから、

「革命」と呼べるような、社会を変える力など現れるのか?


 社会というものは、当然ながら人が集まらなければ力を持

たない。人が集まれば集まるほど、社会の力は増す。もし

も、「もう社会に参加したくない。できない」という人間

が、どんどん増えれば、その社会は、それまでの形を維持で

きなくなる。

 「ブラック企業」からまともな人が逃げ出すように、「ブ

ラック社会」からはまともな人間  本来そうあるべき人

  は逃げ出す。人がいなければ社会は動けない。動けな

くなった社会は変わらざるを得ない。それは革命ではないだ

ろうか?


 “社会不適応者” を持ち上げすぎだろうか? でも、不適応に

なるには、そこにはそれなりの理由が有る。それなりの必然

性が有る。けれど、それはハッキリとは言葉にならないの

で、彼らは身を以て「社会の不完全さ」の部分を具現化して

みせる(そもそも “完全な社会” は存在し得ないのだが)。


 “社会不適応者” は社会が生む。当たり前と言えば当たり前

な話だ。 

 現代社会はその構成員に対する要求レベルを加速度的に引

き上げてきた。肥大化し複雑を極めるこの社会の中で活動す

るには、人間的ではいられない。社会は高度になるほど、人

を選ぶ。そこから外れる者が増えるのは当たり前。それはも

う普通の人間の精神を疲弊させてあまりあるものになってし

まったのだ。


 “社会不適応者” の数が、ある閾値を越えた時。その社会は

機能不全に陥る。そして社会は変わり始める。

 無言で、無力な、大勢の人間たちの無為によって、人間の

社会がかつてない変革を向かえるかもしれない・・・。

 まぁ、「しれない・・・」って話なだけだけれど、もしか

ればもしかするかもよ。





 

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