2020年12月3日木曜日

生きるって、何?



 今日、ふと自問した、「生きるって、何?」「生きている

って、何?」と。 


 しばし考え、自分にこう答えた。

 「“生きる” っていうのは、自分が在ることと、世界が在る

ことを味わうことだろう」と。


 今こうして自分があること。

 今自分が在るこの世界が在ること。


 様々な事がこの世界で起こっていること。

 自分が「感じる」ということ。

 自分が「考える」ということ。

 自分が「見ている」ということ。

 自分が「聞いている」ということ。


 そういったすべての “在ること” に、意味付けせず、“その

こと” そのものを味わうこと。


 自分が動いている。その「動いている」ということを味わ

う・・・。

 「何をしているか」というのは大した問題ではない。「し

ていることにどんな価値があるか」というのは、さらにどう

でもいい。「動いている」そのことそのものを味わう。


 手を動かして何かをしている。

 歩いている。

 話している。

 寝ている。

 座っている。

 食べている。

 まばたきをしている。 

 息をしている。

 泣いている。

 怒っている。

 死に往こうとしている。

 そして、その、「していること」を受け止めている “世界” 

が在り、その “世界” も無限に動いている・・・・。


 それらを意味付けせずに、直接に、そのまま味わう。

 “自分” という不思議。

 “世界” という不思議。


 「どんな意味があるか?」という以前に、自分が在る。世

界が在る。いまここに在る!

 その「不思議」がからだの中に沁みわたり、ふくらんでゆ

く・・・。

 言葉にしない。言葉にしようのないその味わいを、自身の

すべてで感じ取る・・・。

 それが「生きる」ということではないだろうか?


 そういう意味で、“「生きる目的」は「生きる」こと” なん

だろう。


 《 神これを創り給えり 蟹  歩む 》 誓子


 この句を借りて、書かせてもらうことにする。


 《 神わたしを創り給えり 泣き 笑う 》





0 件のコメント:

コメントを投稿