2020年12月26日土曜日

感謝を忘れた



 この頃、私は感謝しない人間になってきた。

 もちろん、普段の暮らしの中では頻繁に「ありがとう」と

口にするし、実際にそう思ってもいる。心にもない「ありが

とう」は言わない。ただ、その「ありがとう」は人に対して

向けられるものであって、自分の境遇に対してではない。良

い境遇が訪れても感謝することがなくなった。逆に悪い境遇

が訪れても恨み言も言わない(ヘナチョコなので、泣き言は

言うけど)。


 スピリチュアル系のお話しや、自己啓発系のお話しでも、

「感謝することが大切だ」という話が、必ずと言っていいほ

ど出てくる。「感謝することで、運気を引き寄せる」「感謝

することで波動が上がる」なんてことを言ったりする。


 このブログでもさんざん書いてきたけど、私にとって、自

分と世界は一体で、同じものだという認識なので、「感謝す

るって言ったって、誰に感謝するんだよ」という話になって

しまう。感謝する心は「自分は世界や神とは別の存在であ

る」という認識から生まれる。そうでなければ、“神” だとか 

“宇宙意識” だとか “高次の存在” が 、“自分” に良いものを

もたらしてくれるという発想にはならない。感謝する人は世

界からまだ少し分離している人だ。


 おなかが空いた時にものを食べたら、胃が「満たしてくれ

てありがとう」と感謝するだろうか? 身体がトータルに満足

感を覚えるのではなかろうか? 身体が身体全体のバランスを

取るために、為すべきことが自然に為されているだけではな

いだろうか?

 歩く必要があれば人は歩く、当然足は疲れるが、足は文句

を言わない。でも疲れは身体に伝わり、身体は足を休ませる

ために休息を取る。でも足が「ありがとう」と言うわけでは

ない。その時その時に、身体全体が持ちつ持たれつでバラン

スを取りながら動いて行く。そして、全体として、「善」で

あろうとしている。

 同じことが世界全体にも言えるのではないだろうか?


 個人としては、自分の境遇に「良い」「悪い」を感じる。

それは当然だ。

 貧乏もしたくないし、変な病気にかかりたくもない。他人

から理不尽な扱いも受けたくはない。死にたくない。でも、

個人というものは、それらから逃れることはできないだろ

う。

 それらから逃れる唯一の手立ては、個人であることから退

くことだけだろう。


 そのようなことで、この頃の私は感謝することを忘れかけ

ている。

 では、これまで感謝したり恨んだりしていたような状況の

時に、いま私はどうしているのか?

 なにやら茫然としている。あるいは陶然としているので

す。


 脳の機能障害かもしれないけどね。




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