2020年12月5日土曜日

『トラウマ展』を見て来た ~何が人を傷付けるのか?~



  須磨寺で『トラウマ展』というのをやっているので見に行

ってきた。

 武庫川女子大学の精神保健福祉研究室が主体となって行っ

ている「こころアート表現★プロジェクト」というものの一

環らしい。

 展示されているのは、トラウマを抱えた人が自身の内面を

見つめて描いた絵ということなので、この企画があることを

知った時、「自分には見ておく義務がある」みたいな気がし

たのだ。


 私のトラウマは、九歳の時に経験した父親の自殺。そこに

貧困がスパイスとなって、私の考え、感性、生き方を決定付

けて来た。そういう人間なので、「自分には見ておく義務が

ある」というような感覚になったようだ。


 見た感想としては、「意外と暗い絵が少なかったな」とい

う感じ。

 それぞれの絵に、作者のコメント、トラウマの内容と、そ

れによってどんな人生が展開して来たかが簡単に添えてあ

る。それを読むと、〈 つらい目に遭った → 暗い絵を描く 〉

という単純な話ではないことがよく分かる。「よく生きて来

られたなぁ・・・」と思うような体験も多い。物理的にはそ

こから抜け出せたとしても、トラウマからは抜けだせない

(だからトラウマが問題なんだけどね)。これからも大変だ

ろうし・・・。


 自分の内面をのぞき込んでそれを表現する。それで少し楽

になる。一時的かもしれないけど。

 表現することで、閉じ込められていた自分を少し解放して

やることができる。人がさまざまに表現をするのは、生きて

行く中で抱え込んだ苦しさを吐き出すことが、大きな理由の

一つだろう。けれど、自分に降りかかった大きな衝撃を表現

できない状況に立たされてきた人、あるいはそのすべを持っ

ていなかった人は、その衝撃をもろに抱え込んでしまう。そ

れがトラウマとなる。


 何十年も経っていても、これらの絵を描くような表現の機

会を持てることは、大なり小なり、「解放」をもたらすだろ

う。大なり小なりなんだけど、わずかでも「解放」されるこ

とは良いことだ。

 私がこのブログを書いているのも、同じようなことだと思

う。ほとんど独り言だけど、独り言でも、自分を幾分かは

「解放」できる。

 そして、“父親の自殺” という衝撃と折り合いを付けようと

し続けて来た中で、感じ、考えて来たことを表に出すこと

で、誰かの役に立つかもしれない。逆に、誰かに要らぬ問題

を抱え込ませるかもしれないとも思うけど。


 今回の展示に添えられた解説を読んでよく分かるけど、ト

ラウマの原因は、虐待、いじめ、貧困、身近な人の死、家庭

環境の大きな変化、犯罪、海外では紛争などもあるだろう

が、そこには “人” がいる。ほとんどの場合、人が人を傷付け

ている。なぜ人が人を傷付けるということが起こるかという

と、自分が傷付きたくないから。自分が傷付くまいとして起

こす行動が、そばにいる人に対しての圧力となる。打撃とな

る。


 相対的に弱い立場にあり、身をかわすスペースを持たない

人は、その圧力・打撃をモロに食らってしまう。追い込まれ

てしまう。時にはサンドバッグにされてしまう。人ではな

く、砂の詰まった袋のように扱われる。健康な心を保てるわ

けがない。


 傷付きたくないという思いが、他人を傷付ける行動をとら

せる。では、何が人を「傷付きたくない」と思わせているの

か?


 「価値ある人でなければならない」と、すべての人が刷り

込まれていること。

 そして「価値ある人であること」を、誰もが求められるこ

と、他人に求めること。

 それが、人を傷付ける。

 そして、それを克服しようとするあがきと、そこれから逃

れようとするあがきが、人と人とを傷付け合わせる。それが

酷くなると、トラウマのようなものが生じる。

 そしてそれは傷付けられた側だけのこととは限らない。傷

付けた側も、それによって傷付く。戦争から帰還した兵士

が、自分が人を殺した事実に責めさいなまれたりするよう

に。


 人は傷付きたくないがゆえに、傷付け合う。

 「人としての価値」などというバカな刷り込みのせい

で・・・。

 (それで言い尽くせるとまでは思ってはいないけど)


 ほんとうにつまらんことだ・・・。



    この話が、もしあなたの心に響いたとしたら『生きる

価値など無いあなたへ』(2020/4)という話も読んでみて

下さいね   





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