2020年12月11日金曜日

受け入れてほしいんだ

 


 三年程前から、毎朝スズメにエサをやる。始めの頃は十羽

ぐらいだったけど、この頃は三十羽ぐらいが待っている。数

は増えたけど、エサの量は増やさない。エサを増やせばスズ

メが増える。街の中なので、そういうことが嫌いな人間もい

るので気を遣うのだ。都会の人間は自然が嫌いだからね。

 そうして三年もエサをやってきたけど、スズメは警戒心が

強いので、これまではエサを撒いても、私がそこから離れな

ければ食べに来なかった。ところが、数日前から、エサを撒

くと私が居ても近付いて来て食べるようになった。気温が下

がり、カロリー消費が上がって単におなかが空いているだけ

かもしれないが、それでも近付いて来てくれるのが嬉しい。

おもわず「受け入れてくれてありがとう」とつぶやいた。そ

して気が付いた。

 「ああ、人は受け入れてもらいたいんだな」。


 人が生きていて、もっとも求めていることは、「受け入れ

てもらうこと」なんだ。

 「好かれたい」「愛されたい」「必要とされたい」「褒め

られたい」・・・。

 そういった、他者からの承認の根本として、なによりもま

ず「受け入れてもらいたい」。そこから初めて、人と人との

関係を形作ることが可能になるのだから。

 ところが、人間関係の根本であるにもかかわらず、「受け

入れてもらうこと」ができなくて、ほぼすべての人間が苦し

んでいる。


 親に受け入れてもらえない → 虐待・ネグレクト

 同級生に受け入れてもらえない → いじめ・不登校

 職場で受け入れてもらえない → パワハラ・パニック障害

 LINEで受け入れてもらえない → 既読スルー・不安・猜疑

 仲間に受け入れてもらえない → 孤独

 社会に受け入れてもらえない → 差別・ひきこもり

 国に受け入れてもらえない → 難民


 挙げればキリがない。人の苦しみのほぼすべてに「受け入

れてもらえない」ということが関係していると言っても過言

ではないだろうと思う。人は誰も、常に、誰かに、「受け入

れてもらえない」ことで苦しんでいる。

 なぜ誰もが苦しむかというと、誰もが、「誰かを受け入れ

ないようにしている」からだ。

 自分の世界の安定と、自分の価値観を守るために、それを

乱す恐れのある存在は受け入れない(人・考え・病気・気味

の悪い生物・・・・・死)。


 自分は「受け入れられたい」にもかかわらず、自分は他者

を「受け入れない」。

 誰もがそうしているので、誰もが「受け入れてもらえな

い」。

 自分の世界を乱されて苦しい思いをしたくないので他者を

「受け入れない」ようにするのだが、他者も同じようにする

ので、それは自分に返って来る。そして「受け入れてもらえ

なくて」苦しむ。苦しみたくなかったはずなのに・・・。


 「受け入れてもらえない」というのは、要するに「否定さ

れること」。

 「アンタには価値が無い」という判定をされること。存在

意義を否定されること・・・。

 普通の人間なら傷ついて当たり前だね。なので、誰もが傷

ついている。

 仲良くできないのだろうか?


 自分とは異質のものが入ってきたら、乱され、壊れてしま

うようななものならば、その世界・価値観は不完全で脆弱な

ものなのだ。そんな不完全で脆弱なものを守ろうとして、誰

もが傷つけ合っているのだ。考え直してみるべきだろうと思

うけどね。


 私が植物が好きで花を育てたり、多くの人が犬や猫を飼っ

たりするのは、彼らが拒絶しないからだろう。受け入れてく

れるからだろう。だから癒される。


 野生の生物は、自身の身を守る為に人を拒絶したりはする

のだが、それを除けば、この世界で人を拒絶するのは人だけ

だ。世界は基本的に人を拒絶しない、常に人を受け入れてい

る。

 「いいね!」を欲しがるよりも、人から意識をずらして、

人以外の世界に目を向けた方が安心できるだろう。世界は常

に人を受け入れているのだから。

 そして、「自分は常に世界に受け入れられている」という

意識を持てたなら、余裕が生まれて、他者を受け入れ易くな

るんじゃないだろうか?そして自分が受け入れれば、相手も

受け入れてくれる可能性は高いんじゃないだろうか?


 こういうことを言うと、「自分が受け入れてもらえるよう

に努力すべきだ」という人もいるだろうけど、そういう人

も、「どうしても受け入れてもらえない」という経験は有る

はずだ。努力でどうにかなるものではない。


 「受け入れること」も「受け入れてもらうこと」も大変難

しい。時に絶望的だ。

 ただ、「受け入れないこと」「受け入れてもらえないこ

と」が、人の苦しみと世の中の問題の大きな(ほとんどすべ

てだろうが)原因だということを意識していることは、良い

ものもたらすんじゃないかと思う。世の中にも、個人にも

ね。




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