2020年12月12日土曜日

・・・愛おしい・・・。

 

 このブログの中で、“愛おしい” という言葉をたまに使う。


 「“愛おしい” か・・・」ふと考え、ふと気付く。


 「“愛おしい” っていうのは、“慈悲” のことだな・・・」


 そう思って思いを巡らすと、自分が愛おしい。

 これまでの人生が愛おしい。

 うちの奥さんが愛おしい。

 関わりのある人たちが、仲の良し悪しには関わらず愛おし

い。

 毎晩やってくるノラ猫が愛おしい。

 玄関の花が愛おしい。

 パソコンが愛おしい。

 床のフローリングが愛おしい。

 くずかごの紙屑が愛おしい。

 すでにこの世にはいない人が愛おしい。

 なにやら、何もかもが愛おしい・・・。


 思いがけず、目頭が熱くなった・・・。


 自分と世界のすべてが、共に存在している。

 世界のすべてと自分が、共に存在している。

 “愛おしい” というのは、“「共に在ること」の実感” とで

もいうものだろうか・・・。


 そう思うと、以前にも取り上げた、まどみちおさんの言葉

が浮かんで来た。


   たとえすべてのひとから みはなされた

   ひとがいても そのひとに


   こころやさしい ぬのきれが一まい

   よりそっていないとは しんじにくい


 そして、アタマのことを考える。


 「おまえも精一杯で、必死なんだよな・・・」


 出来の悪い、自分のアタマまでもがなにやら愛おしくなっ

た・・・。 

 誰も彼もの、出来損ないのアタマまでもが愛おしくなっ

た・・・。

 部屋中のすべての物が、私を愛おしく感じてくれているよ

うな気がした・・・。


 これは、狂気か? 妄想か?

 それでもいい。こんな狂気や妄想なら大歓迎だ・・・。


 “こころやさしい一まいのぬのきれ” のようになれるのな

ら、それだけで、じゅうぶんに生きる甲斐というものは有り

そうだ・・・。





 

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