2020年12月23日水曜日

コロナウイルスに罪は無い   コロナ ㉖



  駅で見かけたポスターにこう書いてあった。


 「コロナを憎んで、人を憎まず」


 言いたいことは分かる。コロナ差別を無くそうというわけ

だ。けれど、コロナを憎むのは構わないのか? 相手(対象)

が何であれ、憎むこと自体を無くそうとするべきじゃないの

か?コロナウイルスに罪は無い。


 コロナを憎む。病気を憎む。それは突き詰めると、その先

にある「死」を憎むということだろう。けれど、自然の摂理

である「死」を憎むことは、人にとって良いことなのだろう

か?


 人にとって、「死」は受け入れがたい。けれど、“憎む” 

、“忌み嫌う” というのは、何か履き違えているのではなかろ

うか。

 一人の人間が、一つの社会が、自然の摂理を忌み嫌

う・・・。いったい何様のつもりなんだろう?

 人にとって、「死」は受け入れがたい。けれど、それはす

べての人に訪れることで、受け入れる覚悟を決めておかなけ

ればならないことだと思うんだが・・・。自分の死も親しい

人の死も。


 スエーデンがコロナを特別視せずに、インフルエンザ程度

の感染症として対処したことを、「集団免疫作戦」などと他

国やマスコミがおもしろおかしくネタにし、「失敗だった」

などと揶揄したけど、スエーデンは、感染症で高齢者や基礎

疾患のある人が亡くなることを、「普通の事」として扱った

だけなのだろう(スエーデン在住の日本人の方が、YouTube

で、「スエーデンは集団免疫作戦など行っていません」と言

っていた)。

 最近になって、思ったより死者数が多かったのか、少し弱

気になっているようですが、スエーデンのこれまでの対応が

世界で最も適切だと私は思う。「大人だね」と。


 人は死ぬもの。当たり前ですね。

 高齢者の方が死にやすい。これも当たり前。

 有史以前からウイルスや細菌は存在し、感染症が存在し、

それによって人が死ぬことも多い。このことも当たり前。


 「さしあたり、新型コロナウイルスの引き起こすことは、

これらの “当たり前” の範疇に入るようだから、当たり前に対

処しよう」

 スエーデンの対応は、そういうことだったんだろうと思

う。まぁ内情は分からないけど。


 私の目からも、新型コロナウイルスの引き起こすことは 

“当たり前” の範疇のことに見える。それを “当たり前” だと

思えない社会の方が、当たり前ではない。幼稚なヒューマニ

ズムは、人間の愚かさを増悪させ、かえって人間を不幸にす

る。「人は死ぬ」。それのどこがいけない?


 殺人だとか、自殺だとか、既得権益を持つ者の搾取などで

追い詰められるなど、人が人を死に追いやることは私もイヤ

だ。けれど、病気などの自然の働きによる「死」を “禍(わ

ざわい)” と見做すのは、人間の傲慢ではないか。

 ほんの百年ほど前まで、人間はたいした医療技術を持ち合

わせてはいなかったが、それでも人類は滅びなかったし、少

しずつでも人口は増えていたのだ。そして、50~60年前から

人口が急増したのは、化石燃料の使用による農業生産の大規

模効率化と、先進国の上下水道整備による消化器系感染症の

減少のおかげであって、医療の貢献度は少ない。それは、呼

吸器系感染症に対して医療は大したことができないというこ

とでもあるし、する必要もないということでもある。


 呼吸器系感染症は、人の自然死  老衰だけではなく、さ

まざまな病気での死を含む   のひとつのファクターとし

て、受け入れた方が生きることが豊かになると思う(どう

「豊か」になるのかは、また次の機会に)。



 いたずらに死を恐れ、病気を恐れ、老いを恐れ、細菌やウ

イルスを恐れ、微量の化学物質を恐れ、排除し、忌み嫌い、

我を忘れて狂奔する・・・。

 本当に恐れるべきなのは、わたしたち自身のエゴであり、

それが生み出す、一見有益ながら実は人を狂わせているさま

ざまな “お話し” だろう。


 コロナウイルスに罪は無い。

 病気に罪は無い。

 自然に罪は無い。

 「死」に罪は無い。


 この世界で罪を持つものは、わたしたちのアタマだけだ。



 (コロナの死者が多いアメリカなどの国は、食生活など

  の生活習慣によって、免疫の弱い人が多いのだろうと

  思うよ。コロナのせいではなく、免疫を弱くしている

  せいだろう。例年インフルエンザの死者も多いんだか

  らね。 エビデンスは無いけどね。)



 

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