2023年4月23日日曜日

波に乗らない



 この前、面白い記事を見た。2022年、世界の音楽スト

リーミングサービスで一年間に一度も再生されなかった曲が

3500万曲あったという。さらに全体の42%の曲は一年

で10回以下しか再生されなかったそうだ。こういう話を知

ると、このブログはまだマシなのかもしれない・・・。


 ネットの情報の海に、無数の「想い」が呑まれて行

く・・・。わたしたちが日ごろ目にしているのはごく表層の

ものだけで、それらは単に時流に乗って浮き上がっているの

であって、良いことかどうかはまた別の話だろう・・・。

と、そんなことを考えていて思い出したことがある。


 金子國義という画家がいた。2015年に78歳で亡くな

られている。



 こういう感じの絵を描かれていた。(ここに載せていいの    
   かどうか・・、著作権のことはよくわからない)


 金子氏の絵を初めて見た横尾忠則氏は「凄い絵だね・・。

僕はもう描くのが嫌になった・・・」ともらしたという。


 金子氏を世に紹介したのは澁澤龍彦氏(小説家・評論家・

フランス文学者)で、澁澤氏は「流行の波の上でサーフィン

をしたい者にはやらせておけばいい」と言い。世の中に目配

せをせず、金子氏のように自分の世界に深く没頭して行く人

間の表現の方に、大きな価値があると述べていた。


 〈 流行とは我慢のできない醜さの一種である

  だからこそ我々は半年ごとに流行を変えねばならぬ〉


 そう言ったのはオスカー・ワイルドだが、こういう辛辣で

味のある言葉を吐く人はずいぶん減ってしまったのではある

まいか?


 リッケルトというドイツの哲学者はこんなことを言ってい

る。


 〈 君の道を行きつくと、そこには必ず良き満足がある 〉


 自分は自分でしかなく、自分しか自分ではない。

 自分の中に止むにやまれぬ思いがあるのなら、世の中の評

価を気にせず、素直にそれに従って行く方が良いだろうと

は、誰でも自然に思うのではないだろうか?

 そうした結果、世の中からずれても、誰かからバカにされ

ても、生きるのに苦労しても、〈 そこには良き満足がある 〉

はずである。(でも、変な収集癖みたいなのとか、依存症や

犯罪に結びつくようなのはやっぱりビョーキで、得られるの

は「悪しき満足」だろうなぁ)


 一年間、誰にも聴かれることのなかった3500万曲。

「なんとなくアップしてみた・・・」という変わった人間も

いるかもしれないけれど、それらをアップした者たちのほと

んどが求めたのは、当然、より多くの人からの好評(と、利

益)だろう。そう期待した時点で “「自分が満足するかどう

か」を他人の手に預けてしまっている” ということになる。

それは、自分で満足することが出来なくなるということを意

味する。

 世の中に関わると「自分の満足」からかえって離れてしま

う。世の中は「自分の満足」の邪魔になる。自分を真に満足

させられるのは自分だけである。


 “自分のなりゆき” を愛でること・・・。そうすることで、

そこに「満足」が浮き出してくる。人はもっと自分を信じて

あげるべきだろう。いまある自分を認めてあげるべきだろ

う。

 世評や時流に関わりなく、ごく個人的な感覚を刺激され、

理由も分からず引き込まれること。そのなりゆきを認めてや

る。

 満足を得るための手段としての “何か” ではなくて、それを

すること自体が「満足」であるようなことに身をまかす。

 望んだことではないが、それをすることを「満足だ」と自

分に言ってみせてもウソにならないようなことは、受け入れ

る。


 世の中の波に乗って、自分のやりたいことをして、ひと時

楽しそうにしている者を後ろから眺めながら、自分の小舟

が、自分の小舟なりに進んで行くのを慈しむ。


 見物人はいらない。いてもいいけど、それは二の次。

 自分が世界を眺めている・・・。

 自分が世界の中を進んでいる・・・。

 なぜかは知らないけど進んで行く・・・。


 波の後ろ側は穏やかだろう。




  

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