2023年10月2日月曜日

かろやかな絵空事



 前回、「金メダル?CEO? 1億ドル? それ食べれるの?」

という文を書いた時、『未来少年コナン』のジムシーの口癖

を思い出した。

 ジムシーは自分の知らない事について聞かされると「そ

れ、食えるのか?」と訊く。すごく健全だ。宮崎駿監督の

「人間のやってることって、絵空事ばかりだろ」という思い

が込められている。まさしく「絵空事」を生業にしている宮

崎さんの自虐的な想いや、自身への戒めもこもっているのだ

ろう。


 大珠慧海(だいじゅえかい)という禅僧の有名な言葉に

「腹が減ったら食べ、疲れたら寝る(飢え来れば食い 困来

れば即ち眠る)」というのがあります。「おのずから起こる

ことに従ってゆく。それだけだ」ってことだろうし、「それ

だけ」の事を大事に扱うということ。他の事に目配せして

「いま、ここ、これ」を見失わない。“「食って、寝る」

(「出して」とかもあるけど)以外の事は絵空事なんだか

ら、それに振り回されるな” ということでしょうね。

 そういうことを言わなければならないということは、人が

すぐに絵空事に振り回されてしまうことを物語っているわけ

ですが、絵空事抜きで人が生きて行けるとも思えません。

大なり小なり、誰でも絵空事を描くでしょう。「食って、寝

る」だけというわけにもいきません。「食うのなら美味しい

方が良い」と思えば、もうそれは絵空事が入って来ています

しね。


 人はナマコやミミズではありません。人には絵空事を描く

能力と業があります。ならばそれは使うべきものだし、使わ

ざるを得ない。ただ、使い方が酷いんですね。もっと、かろ

やかに上品に絵空事を楽しめないものか? 小さな子が手にす

る綿菓子や、幼い少女の口元から生み出されるシャボン玉み

たいに、かろやかで儚くて何も傷付けないような絵空事

を・・・。


 絵空事はしょせん絵空事です。ひと時の幻です。それなの

にわたしたちのエゴはその絵空事に自分を投影し、絵空事で

自分を飾り、絵空事で自分が特別な価値がある存在であるか

のように見せかけようとする。その為に絵空事が大袈裟で、

重たく、醜悪なものになってしまう。どんなに価値あるもの

に見せようとしても、絵空事は絵空事。生きていることその

ものとは関係ない。


 「食えるのか?」

 食っていけなけりゃ、絵空事どころの話じゃない。食える

ようになっているからこそ絵空事の生まれる余地がある。絵

空事を描ける立場にいる人間は、すぐにそれを忘れる。

 「食える」という、生き物としてのベースが与えられてい

るなら、それだけでも、まずは満足なはず。それに加えて絵

空事を描くことができる余裕まで与えられているなのら、も

っと上品にしてもらいたいし、その方がしあわせなはず。


 「衣食足りて礼節を知る」

 礼節とは社会の中での振る舞いではなくて、自分が衣食に

恵まれていることを知り、世界に対して礼を返すことだろ

う。神様の前で巫女さんが踊りを捧げるように。


 「食えたのか?じゃぁ、上品な踊りや歌でも楽しませてく

れ」

 神様はそんなことを思って、人間に絵空事を描く力を持た

せたのかもしれない。計算は狂ったのかもしれないけ

ど・・・。




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