2023年10月9日月曜日

「守る」とはどういうことか?



 今日、駅のホームで電車を待ちながら、足元の点字ブロッ

クを見ていてふと思った。「 “守る” ってなんだろう?」。


 わたしたちは常に何かを守ろうとしていると言っても過言

ではない。

 自分の命を守る。自分の心を守る。自分の大切なものを守

る。社会を守る。国を守る。環境を守る。地球を守る・・。

けれども、そもそも「守る」とはどういうことか?


 「守る」とは、「損なわせない」「害を加えさせない」と

いうことだと思うけれど、これでは単に言い換えただけで説

明になっていない。どうも「守る」という言葉はつかみどこ

ろがないと、いま考えてみて気がついている。 


 しばらく考えてみてたどり着いたのは、「守る」とは「存

続させること」という答えだった。わたしたちが守ろうとす

るのは、すでに有るものについてだから。

 「存続させる」ということは、基本的に「変化させない」

ということだろう。もちろん、自分の気に入らないことは気

に入るように変えたいので、「守る」のは気に入っているこ

とに限られる。けれど、なぜ「守ろう」とするのだろうか? 

「守る」ことにどんな意義があるのか?


 この世は「諸行無常」だ。「守る」ことが「存続させる」

ことならば、それは徒労に終わる。「守る」ことはこの世の

原則に逆らうことになるから、絶対に成し得ない。わたした

ちが何かを「守った!」と思うのは、わずかな時間のごく表

面的な印象を見ているに過ぎない。わたしたちに守れるもの

は無い。それでもわたしたちは常に何かを守ろうとし続け

る。それは「変わること」「無くなること」を恐れているか

らにほかならない。


 わたしたちが恐れているのは、セルフイメージとその活動

の場であるセルフワールドが変容したり崩壊したりしてしま

うこと。願わくば、セルフイメージとセルフワールドを絶対

のものにしたいのだろうが、それはいずれ必ず挫折する。そ

もそも「守ろう」とすること自体、それが損なわれるさだめ

にあることを意味している。チタンでできた物にさび止めを

塗るヒマ人はいない。


 何かを「守ろう」とすること自体はよい。ただし、それは

程度の差こそあれ、ある年月の間のことだけで終わるさだめ

にあると認識しておかなければ、願望の世界で絶望を先延ば

しするという自己欺瞞の中で生きるということになってしま

う。そしてそれは、自分の願望によって変質してしまった

(見誤った)世界で生きることを意味するし、それゆえにさ

まざまな困りごとを生みだすだろう。


 何かを「守ろう」とすることは、現実を自分の妄想で読み

替えようとすること。ただでさえ捉えづらい真実をさらに捉

えづらくしてしまうこと。「守る」どころか、そのこと自体

の価値や意味を歪めてしまう。


 本当に何かを守りたいのなら、「見守る」ことだろう。

 そのものが、そのものとして在り続け、また変わり続ける

様子を受け止めて行くことだろう。

 「守ろう」とすることは、自分が主体の行為。

 「見守ろう」とすることは、そのもの(こと)の方が主体

の在り方。


 変わりゆくもの、損なわれてゆくもの、滅びてゆくものを

受け止めてゆく。

 それは敬意に満ちたことではないだろうか?






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