2017年3月13日月曜日

自分をずらす



  《 自分の世界の中心に、自分を置かない。

   自分を中心からずらせば、自分の世界(人生)が

   他人事になって、どんな問題もストレートに

   自分にぶつかって来ないので、とても楽になる 》


 世界は自分の為に有るのではない。そんな事は誰でも判っ

ている。判ってはいるのだが、誰でも自分の目で世界を見て

いるので、どうしても自分中心に世界を見てしまう。そして

、当然
ながら、だれもが自分を中心に世界をみているの

で、極端に言えば、この地球の上で70億の世界がせめぎ合

っている。その結果、世界は70億に分裂し、お互いを中心


からはじき出し合う椅子取りゲームが続くことになる。


 でも、丸い地球の上で中心などあるわけがない。中心は

人々の妄想(思考)の中にある。どれだけ我を張って人を

押しのけ、先を争っても、辿り着くべきゴールは無いので、

そのゲームにも終りは無い。世界中で無数の人々の果てしな

い闘争が続く。忙しくって、疲れるだけだと私なんぞは思っ

てしまうのだが。でも、まぁ、疲れるだけならまだいいんだ

けど、それだけでは済まないでしょ?ケンカになってケガを

したり、ストレスなんかで病気になったり、恨み・僻み・嫉

妬・逆ギレ・・・挙句の果てに殺し合い。まったく、正気じ

ゃないよね。



 なんで、自分が中心じゃないといけないんでしょう?


 「わたしは、そんなこと思ってませんよ」
 

 そうですよね。そう思いますよね。私も、あなたも、ドナ

ルド・トランプでもプーチンでもないし・・。


 でもね、やっぱりわたしたちは、自分が中心だと思ってい

るんですよ。

 トランプも、プーチンも、実際に関わる人間の数は、わた

したちとあまり変わらないはずです。その小さな世界の中

で、わたしたち同様、一つのからだで、一日は24時間で、

そう代わり映えのしない脳みそを使って生きています。自分

が国を動かしているつもりでも、支援団体の顔色を窺わなけ

ればならないし、自分が放った矢が、地球を一周して自分の

後頭部に刺さったり、所詮はひとりの人間なんです。わたし

たちより目立つだけで、わたしたちより、さらに妄想が激し

いだけです。そんな彼らとわたしちに本質的な違いは無い。

 わたしたちは、目立たない市井の人間ですが、トランプと

たいして変わらない数の人間関係の中で、自分の中心を保っ

て、バランスを取ろうと必死です。



 バランスと書きましたが、わたしたちが世界の中心に居た

いのは、そのバランスのせいです。中心とは、文字通りバラ

ンスのとれる真ん中のことですね。中心に居るから、この世

界で安定をとれるんです。



 「中心、中心って、僕は人と話すのが苦手なので、みんな

の端っこに居るのが楽なんだ」なんて言う人もいると思うん

ですが、それは自分の中のバランスが偏っているので、それ

に合わせたバランスのとり方なんだと思います。



 今、「バランスが偏っている」と書いたんですが、偏っ

ているのは、世の中のバランスと較べてという意味です。

 世の中で出来上がっている(ように見える)、既成の枠組

みのバランスのとり方に上手く合わせられないので、自分は

変なポジションに立っている様に感じてしまう。確かに「変

なところに居る人だなぁ」と見る人もいるでしょう。でも、

「変なところに居る人だなぁ」という視線をひとに向ける人

も、自分とは違う立ち位置にいるひとが立っているその場所

を、「変なところ」と設定することで、自分の立ち位置を

「変じゃないところ」と捉えてバランスをとろうとしている

のです。(こういう人が数人集まると、「いじめ」が発生し

ます。「いじめ」は自分の不安定感を抱えきれない人の、幼

稚な「不安定感解消法」です)



 だから、ホントはどちらも、中心にいる感覚はもっていな

い。

 ひとを「変なところにいる人だなぁ」と見る人は、自分が

中心にいると感じているでしょうが、本当は確信が持てなく

て、無意識な不安を抱えている。だって、この世界には中心

なんて無いんだから、誰一人として確信なんて持てるはずが

ない。もし「自分は世界の中心にいる」という確信を持って

いる者がいたら、それは“原理主義者”でしょう。

 原理主義者になるぐらいなら、世の中の端っこで、居心地

の悪さを感じている方がマシじゃないですか?


 で、原理主義者になれないわたしたちは、世界の中心には

居ないわけですが、依然として自分の世界の中心には居て、

自分の世界に侵入して来る他者と、対峙しなければなりませ

ん。ところが、バランスが崩れるのが怖くて、中心に居続け

ようとするので、誰かが自分の中心に向かって来ると衝突し

てしまいます。そして、いざこざが起こります。



 中心から退いちゃえばいいんですよ。どうせ中心なんて無

いんだから。「自分」なんて“世の中のお約束の価値観”が、

自分の中に集まって出来上がったものでしかなく、便宜的な

必要性しかないんだから。

 誰かが自分に向かって来たら、「分身の術」よろしく、中

心には影を残して、本体の自分は「すっと」横にずれる。そ

んなイメージで、自分をずらす。「柳に風」という言葉もあ

りますね。さらに言えば、始めっから自分を中心に置かない

様にする。「自分なんて、何でもない」。「自分はこう」と

決めない様にする。そうすると、人が向かって来てもぶつか

らない。



 「でも、そんな風にしていると、自分が無くなっちゃわな

い?」

 無くなりません。

 もともと無いんですから。思い込みですから。

 わたしたちは脊椎動物だからいけないのかな?つい、中心

を持ってしまうクセがあるようです。

 でも心理的にはアメーバみたいなものです。ホントは決ま

った形はない。そう気付いているのがいいと思いますよ。

 楽になりますよ。

 (あくまで心理的、意識の問題です。クルマが向かって来

たら避けてください。)

 

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