2017年3月9日木曜日

自由意志

  《 聞きたくないでしょうが

     自由意志というものはありません 》 


 「わたしたちには、自由意志などない」なんて、生きてい

るのが虚しくなるようなことを、何の為に言わなければいけ

ないんだ。そう思う人の方が多いのではないでしょうか。

 何の為に?

 気楽に生きる為です。

 わたしたちには自由意思はなく、ただ動かされ、思わされ

ているだけで、すべては必然です。

 自分も人も、すべての個人も国も、どのような集団も、し

かたなく、そのあるがままに在って、良いことも悪いことも

強さも弱さも、情けなさも気高さも、わたしたちの生み出す

ものではなく、ただ、わたしたちを通して現れて来るだけで

す。

 驕ることも、自己嫌悪することも、羨むことも、卑下する

ことも、嘲笑うことも、憐れむことも、個人の成果も、罪も

どんな事も、人の世の中での便宜的な意味しか持ちません。

わたしたちも、出来事のひとつにすぎない。

 すべてが在るがままで、そう在るしかない。わたしたちの

働きではない。わたしたちも、出来事のひとつにすぎない。

 だったら、自分の在るがままを肯定しちゃえば良い。今、

実際そうなんだし・・。(肯定出来るか、出来ないかも、あ

なたの必然ですが・・・)

 でも、その時自分を肯定する自分は、いったい誰なのか?

 この話を続ければ、終りがありません。合わせ鏡の中に、

無限にあらわれる鏡像のように、果てしなく続く否定と肯定

の繰り返し・・・・・。はて?どこが気楽なんでしょう?

かえって、矛盾の中で苦しみそうな気もしますが。

 要するに、考えても仕方ないので、考える必要はないとい

うことです。

 今、自分を肯定出来るのであれば、そういう働きが来てい

るわけなので(このブログを読んでいることもそうです)、

そのまま肯定すればよい。その流れに乗って行けばよい。

 肯定していいんです。

 自分で考える必要はない。

 考えたつもりで、考えさせられているだけだし。

 「しあわせとは機嫌が良いこと」と前に書きましたが、

 「しあわせとは自分を肯定出来ること」

でもあるんです。

  誰でも、何の条件も無く、何も考えず、自分を肯定してい

いんです。肯定してはいけない理由など無いんです。

 そして、世界がどんなに醜く、愚かに見えたとしても、わ

たしたちの世界は、今ある世界しかないのですから、今その

まま受け取るしかないのです。今、実際そうなっているのだ

し。

 世界がバカげているのは、あなたのせいではありません。

無責任でいいんです。

 「無責任でいいなんて言ったら、皆がムチャクチャをやり

だして、大変な事になる」なんて思ったりするでしょうが、

“自分は考えさせられ、動かされているだけ、世界のことな

んて知らないよ”ってことになれば、もうそこにはエゴが無

くなっていて、かえって落ち着いてしまうんです。余計な事

をしなくなっちゃうんです。

 だから心配は要りません。

 あなたも、私も、誰もかれも、そんな風な思いで生きられ

る様に動かされていけばいいんですが・・・。望み薄ですね

ぇ。(笑)

 おあいにくさま。

 



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