2017年4月14日金曜日

自分でしあわせを探さなければならない子供たちのために Ⅱ



 「機嫌良くなんか出来ない・・・。死にたい・・・。」

 そんな風に思ってる十代の子たちに(まぁ、十代に限りま

せんが)伝えたいことなんですけど、「死にたい」って言う

人に対して、「死ぬ気になれば、何でもできる」なんてこと

を言う人がいますよね? あんなのウソです。「何でも」は

出来ません。それどころか、「死にたい」って思ってるぐら

いですから、メンタルのパワーが凄く落ちてしまっていて、

もともと出来る事さえ出来なくなっているはずです。そのよ

うな状態の人に対して、「死ぬ気になれば、何でもできる」

なんてことを言えるなんて、「どれだけ穴だらけの感受性を

してるんだ?」と私なんぞは思ってしまいますね。無神経に

も程がある。

 むしろ、「どうせ死ぬ気なら、全部辞めてみたら?」と、

言ってあげたいですね。



 「死にたい」と思わせる理由は、病気(体の不具合)か人

間関係しか有りません。

 経済的なことですか? 経済は人間関係の一部です。

 たとえ十億円の借金があっても、それを取り立てる借金取

りが居なければ、何でもないでしょ? 経済的な悩みは、お

金の後ろに居る人との“人間関係”なんです。ですから病気か

人間関係しか、人を「死にたい」と思わせることはありませ

ん。



 で、全部辞めるということですが、どうせ死ぬつもりなん

でしょ? 死ぬという事は、何もかも、生きている事も、辞

めるということでしょ? なら、死ぬ以外の事を「全部辞め

てみたら?」と思うんです。



 まず、人間関係についてですが、“関係”ない人が「死にた

い」という思いにさせることは有り得ませんよね? だっ

て、関係ないんだから。

 当たり前ですけど、関係している人が「死にたい」と思わ

せているわけですよ。だから、その人間関係を辞めてみる。



 相手は親かもしれない、友達か同級生か教師かもしれな

い。恋人であったり、職場の上司や同僚、あるいは部下や後

輩かも。

 いずれにしても、人が抱える問題は表面的には違うように

見えても、ほとんどの場合“人間関係”です。

 そんな「死にたい」ほど苦しい人間関係なら、辞めちゃえ

ばいい。



 苦しみの元が学校にあるのなら、学校を辞めればいい。

 苦しみの元が部活にあるのなら、部活を辞めればいい。

 苦しみの元が会社にあるのなら、会社をやめればいい。

 苦しみの元が家族にあるのなら、家族をやめればいい。

 親が苦しみのもとなら、親との関係を辞めればいい。



 「親との関係を辞める?」

 大変ですよね。そんなの。

 でも、苦しみの元が親であるなら、そうするしかありませ

ん。前回も書いた様に、手当たり次第に飛び込んで行ってで

も、逃げ道を探すんです。



 そんなの、大変ですよね。

 でも、どうせ死ぬ気なんですから、辞めてみればいい。

 うまく辞められなくても、辞めてみてうまく行かなくて

も、最悪の結果って、「死」でしょ? だったらダメでもと

もとじゃないですか。だから、死ぬ前に辞めてみましょう。

少なくとも、「辞める」という変化を起こせば、当然、状況

も変わるわけです。今までとは違う風が吹く。

 その風がどんな風かはわかりませんが、「死ぬ」という最

悪の風が今まで吹いていたわけですから、次に吹く風は「死

ぬ」という風じゃないのは間違いないでしょ?

 辞めちゃいましょう。


 それから病気なんかの体の不具合ですが、障害、容姿の問

題なんかもありますね。「死にたい」ぐらいですから、医者

に掛かったりしても解決出来ていないわけです。これらは、

辞めようと思っても、辞められませんよね?

 じゃあ、何を辞めるのか?

 「解決しょう」というのを辞めるのです。



 病気、障害、容姿の問題。これらの悩みをなんとかする為

に、出来うることは全てやってみたけど解決出来ない。 

 「死にたい」とまで思っちゃうのは、もう打つ手が無いわ

けでしょ? 具体的な解決策はもう無いわけでしょ?

 だったら死ぬ前に出来る事は、「解決しょう」というのを

辞める事しか残されていません。ですから「解決しよう」を

辞めましょう。



 “問題”というものは、言い換えると“解決しなければなら

ない事”です。ならば、「解決する」のを辞めると、問題が

問題ではなくなることに成ります。

 屁理屈でしょうか?

 いいじゃないですか。普通の理屈が役に立たないんだか

ら、屁理屈だって使いましょう。もう打つ手は無いんだし。

 「解決しょう」を辞めちゃいましょう。


 「そんなの、どっちも無理だよ」という場合の為に、最後

の手段を記しておきます。


 「自殺すればいいです」


 怒らないでくださいね。からかっているのではありません

し、投げ出してしまったのでもありません。

 「何もかも嫌になったんなら、自殺したっていいんじゃな

い」と思っているんです。



 べつに自殺を勧めているんじゃないんです。

 私自身、自殺をしたくはないし、ひとの自殺も悲しいです

よ。でもね、「どうしようもなくなったら、自殺もOK」と

考えていれば、その分楽になれるんじゃないかと。


 そもそも、自殺っていけない事なんですか?

 みんな、「自殺はいけない」と思っているんでしょ?

 その理由は、「誰も自殺を望んでいないから」だと思うん

ですけど、だからといって、それが「いけない」にはならな

い。



 自殺するのは、人間だけです。(ビミョーな異論が出るか

もしれませんが)というより、自殺出来るのは人間だけで

す。自殺は人間の能力です。(ヒジョーな異論がでるかもし

れませんが)



 人間は遥か昔から、自殺してきたはずです。エジプトのヒ

エログリフなんかにも、きっと自殺の記載があるでしょう

(想像ですが)



 自殺は人間の死に方としては、大昔からあるポピュラーな

ものです。交通事故死が起こりだして、まだ百年程度です

し、日本の自殺者数は、交通死亡者の数倍です。ほんと

に、自殺はポピュラーです。


 そんな自殺が、なぜ特別「いけない」のか?

 前にも書きましたが、自殺する人を、「弱い」だとか、

「ずるい」だとか、「残される方の身になれ」だとか言う人

がいるんですが、誰も自殺なんか望んでいないのにもかかわ

らず、自殺に追い込まれるんだから、よっぽどの事なんです

よ。その人に対して「自殺はいけない」、なんて言わなくて

いいと思うんですが・・。「自殺する者の身にもなれ」と私

は言いたいですね。



 「自殺はいけない」は止めましょう。

 自殺は望まないですよ。

 自殺は勧めないですよ。  

 でも、どうしても生きるのが苦しくて、狂ってしまいそう

なほど苦しくて、もう自分の中で万策尽き果てた時は、最後

の手段として自殺を持っておいていいと・・・。


 「何もかも上手く行かなかったら、死ねばいいや」

 そんな、開き直りの上で生きてもいいんじゃないかな?

 自殺しなくったって、いずれは死ぬんだし。


 「自殺はいけなくない」


 上手く生きたいし、生きて欲しいけどね。

 「生きられるものなら、生きて行けるでしょう」

 ぐらいの気持ちで、生きればいいんでしょうと・・・。
 

 生きてね。

 せっかくだから。

 その気になれば、笑う事も出来るんだから。

 じゃぁね。



 そう、大きな借金について書いておいた方がいいですよ

ね。

 破産しましょう。

 「人生に失敗しないように」を辞めましょう。

 世間体よりは、自分が大事でしょ?



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