2017年4月18日火曜日

オウム的な人




 古い話で恐縮ですが、オウム真理教がらみの話題を・・。

 とは言っても、別にオウムの分析をしょうというのではあ

りません。無差別殺人犯やテロ集団などの、狂信的な反社会

的存在から始まるお話です。

 22年前に地下鉄サリン事件が起きて、オウムのメンバー

が逮捕され、その後オウムは解体されました。今は二つの団

体に分裂して活動しているようですが、再び反社会的な行動

を起こさない様、監視が続いているようですね。

 当時、「こんな集団を野放しにしておいてはいけない」と

慌てて潰しにかかったわけですが、その様子を報道で見なが

ら、私はこんな風に思っていました。

 「まぁ、オウムは潰しておかなければならないけど、オウ

ムを潰したところで、“オウム的”な人間はいなくなるわけじ

ゃぁないからねぇ。興奮して、対処療法的なことで気を済ま

すのは、大人としてはどうなの?」


 “オウムを潰しても、オウム的な人間はいなくならない。”


 この事は、他のどんな出来事にも当てはまることですが、

菌類にしろ植物にしろ、その胞子や種が落ちた所が、生育に

適した場所でなければ決して育ちません。

 人間にも色々な者がいますし、一人の人間の中にも色々な

面があります。つまり、それぞれの種を持っているんです

ね。その種が、その種に適した条件に置かれると、育ち始め

ます。ヨーロッパやアメリカの中で、IS(イスラム国)の

アップした動画なんかを観て、テロを行う人間がいますが、

彼らには元々テロリスト的な資質(種)があって、それが現

在の様々な条件の影響によって、芽を吹き、育ってしまう。

仮に、彼らがインターネットに繋がらない状況にあったら、

条件が揃わず、テロリストにはならないでしょう。

 そのように、どんな出来事であっても、種とそれを育てる

条件(環境)がなければ、起こりません。

 逆に、社会の中にはどんな種でもありますから、条件が揃

えばどんな出来事でもおこります。

 ですから、サリン事件の後オウムを潰しても、日本の中に

は“オウム的”なものを持った人間がけっこうな人数いるはず

ですから、また条件が揃えば、反社会的集団が生まれるでし

ょう。


 わたしたちがしなければならないのは、人間の中にある危

ない種が育つような社会にしないことです。


 わたしたちは皆、程度の差こそあれ、危ない種を持ってい

ます。例外はありません。

 「わたしは、そんな危ない種など持っていません」

 そんなことを言う人間が一番恐い。


 “正義”を掲げた人間が、今までどれほど酷い事を行って来

たかは、歴史を見れば誰にでも明らかな事です。

 「オウム真理教」も世界を良くする為に、邪悪な人間を抹

殺しょうとしてサリンを撒いたのですし、ナチスにとっても

ユダヤ人を殺す事が“正義”だったのですから。

 そのような事をする人間は、カルト教団や独裁者だけにと

どまりません。

 経営者・教育者・科学者・様々な活動家etc・・・。自

分が正しいと疑わない人間は何をしでかすか分かりません。

要するに、原理主義者です。

 世界はあまりにも複雑すぎて、危ない種が育たない環境

(社会)を造ることは出来ません。出来ることがあるとすれ

ば、種が発芽しないような処理をしておく事だけでしょう。

 「自分が絶対正しいということはない」

 という認識を、すべての人間に徹底的に持たせる事が、危

ない種が育たないようにする、唯一の方法だと思います。


 などと言ってみたものの、そんなことは不可能でしょう。

 だって、こんな事を言うと、「『自分が絶対正しいという

ことはない』と思わない奴は、排除しろ!」って叫びだす奴

が、必ず出て来ますからね・・・・・。


 「どうにもなんない」

 それが、世の中に対する、私の評価です。残念ながら。

 どうにかなりますか?


 「世の中をどうにかしなければ」という考え自体が、すで

に“悪魔の罠”の入り口です。(「悪魔でも、その目的の為に

聖書を引用することが出来る」わけですから)

 そういった思考が、ほんのちょっとずれただけで、危ない

種の養分(エネルギー)になってしまいます。

 実は、「ほんとに恐ろしいのは、人間の持つ“アグレッシ

ブさ”なんじゃないか?」と、この頃思っているのです。




0 件のコメント:

コメントを投稿