2017年4月22日土曜日

I have a no dream!

 「夢を持とう!」なんてことを言う人が、よくいますね。

 こういうことを言うと嫌われるんですが、「夢」って、ほ

とんど、99.9%、個人の「欲」だと思ってるんですけど。

違いますか?

 個人の欲望を、耳障り良く言い換えたものを「夢」と言っ

ているんでしょ?

 「何してもいいけど、少し申し訳なさそうな、後ろめたそ

うな顔してやった方がいいんじゃないの?」と思っちゃうこ

とが多いんです。

(僻み根性が強いだけかも知れません)




 マーティン・ルーサー・キングが “I have a 

dream!” と言ったのは文句ないですが、自分が個人

的な喜び・楽しみの為にしたいことを「夢」だなんて・・。


 そういう人は “I have a greed!” と叫

んで下さい。(I have a greedy mind

というのが正しいのでしょうが、気分ですから)


 友達に“熱い奴”が居るんですが、昔そいつが「おまえの夢

は、何や?」と聞いてきたので、「夢なんか、見なくなるこ

と」と答えたら、意外なことに、妙に納得してました。

 「夢」なんて言いながら、実は自分自身しっくり来てない

人が大部分なんじゃないのかな? 将来がハッキリしない事

が不安で、「夢」持つというスタイルに頼るのでは?  

 本当にしたい事をしている人は、「夢」がどうのこうの言

わないで、無我夢中でそれに没頭してますよ。(泥沼に"ハ

マってる”のかもしれませんが・・)

 そういう人は、「夢」というより、「やりたい事」を止む

に止まれずにやっているだけでしょう。素直なもんですし、

そうせざるを得ないんですね。

 自分のする事に「夢」なんていうラベルを貼る必要は無い

と思いますけどね。

 「夢を持て」とか「あなたの夢」は、なんてことをやたら

と口にする世の中には、「夢を持たない人に不要なコンプレ

ックスを抱かせたり、夢を持たない人にネガティブな目を向

ける人間を増やしたりするだけなんじゃないの?」という危

惧を感じます。



「夢」を持たない人は、普通に大勢いると思いますし、

「夢」を持つことが必ずしも良い事とは限らないでしょ?

 なんとなく生きて、なんとなく自分の役割を果たして、そ

の他大勢の一人として、一生を終える。そういう人が世の中

の大多数で、そういう人が世の中の基盤を支えているのに、

「夢」を強調するのは、目立つ人間が世の中を作って動かし

ているかの様な錯覚を与え、「夢」に挑んだり「夢」を実現



出来ない人間に、無用な「自己否定」を植え付けかねない。

 誰がどんな夢を持っても構わないけれど、ことさらに世の

中が「夢を持つこと」を煽るのは、なんだかいやらしい。

(共感してもらえなさそう・・・) 



 「夢」の実現は「アグレッシブさ」と切っても切れないも

のだと思います。

 「夢」と呼ばれるような想いは、気を付けていないと、個

人的にも社会的にも大きな問題を生むことがあります。

 「夢」をあんまり高く値踏みしない方がいいのでは?



《 夢を持つ権利はあるが、夢を持つ義務はありません 》



 夢の無い人は、胸を張って「夢なんか無いよ!」と言って

いいんです。



       I have a no dream ! 


 ほんと。オレって、とことん“パッシブ(受動的)”な人間

だよなぁ。(でも、けっこうしあわせに50年以上生きてま

す)




 

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